わし》でええ、今、葬式で誰もいなさらん。そこの右の方から入って見なさい。柵の中へさえ入らんけりゃどこでも見なすってええ」
「――勝手に拝見してもわかりますか」
「儂はな、もう年よりで病気だから、行ってもええが説明は出来んの、ここが苦しいから」
 彼は胸のところを抑えて見せた。
「――ただ見るだけ……」
 折角来たのに失望も感じたが、爺さんの眼付と言葉は朴直を極め、強いてそれ以上何と云う余地もない。
 私共は左に花壇のある石段を登り、日本信徒発見記念のマリヤ像の立っている正面玄関の右手扉を云われた通りに押して見た。開かない。ぐるりと裏に廻ると別に入口があり、ここは易々と開いたが、司祭の控室らしく、白い祭服のかかっている衣裳棚などがある。第一、塵もない木の床を下駄で歩いては悪そうだし、困って私は彼方此方を見渡廻した。樟の木蔭に、附属家屋のペンキを剥して、職人が一人働いている。私はその男に尋ね、灌木の茂みをわけて通じる石段を更に半丁ばかり登った。頂上で土地が展け、中央に十字架の基督像を繞って花壇がある。雲の断れ目から照り出した初夏の日光に、ゼラニュウムや蔓薔薇の紅の花が、純白な大理石の基督の肌と、つよい対照で目を射た。人気ない。陰気な程深い張出しつきの教師館を修繕中で、朽ちた床板がめくられ、湿っぽい土の匂がする。テニス・コートらしい空地で、緑の草を女がむしっている。私はやっと、御堂内では一切穿物を許さないということだけを知り得、荒れた南欧風の小径を再び下った。御堂の内部は比較的狭く、何といおうか、憂鬱と、素朴な宗教的情熱とでもいうようなものに充ちている。正面に祭壇、右手の迫持の下に、聖母まりあの像があるのだが、ゴシック風な迫持の曲線をそのまま利用した天蓋の内側は、ほんのり黄がかった優しい空色に彩られている。そこに、金の星が鏤《ちりば》めてある。星は、嬰児が始めて眼を瞠って認めた星のように大きい。つつましい冠をいただいた「いと貞操なる御母」まりあは、その稚い美感の制作である天蓋に護られ、献納の蝋燭の焔に少しばかりすすけ給うた卵形の御顔を穏かに傾け佇んで在られる。祭壇の後のステインド・グラスを透す暗紅紫色の光線はここまで及ばない。薄暗い御像の前の硝子壜に、目醒めるようなカリフォルニヤ・ポピーの一束が捧げてあるのが、いじらしい。隅に、紅金巾の帷を垂れた懺悔台がある。私共が御堂内
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