程、心持の上でコスモポリタンになって居るのではあるまいか。生活を来るがまま、流るるがまま、都市として持つ古さの自覚さえ忘れて、生きて居るのではあるまいか。或、真似がたい鷹揚さと云えないこともない。京都や奈良が、決して自分の年功を忘れない老人のようなのと、興味ある対照と思う。
午後になっても、Y切なく、外出覚つかない。番頭、頼山陽の書など見せてくれる。折々、港の景色をぼやかして、霧雨がする。お喋りの間に、長崎の女性評が出た。
「ここの女の人は、鹿児島の女と随分違うわね」
「違う、違う。鹿児島の女の人、何だか皆頬ぺたなんか艷々して居るようで、活々して、笑いんぼらしいけれど、長崎の女の人はどっちかというと――さあ何て云うのか――」
「そうよ、私もそういう処が女中を見ても違うと思うわ。情が深いって云うでしょ――男の人達に対して鹿児島の女の人は割合さっぱり単純に快活で、どっちかと云うと頼りになる姉妹、母さんという感じ、ね。長崎の方は情人、或は妻的、違う?」
「其だけ、つまり性的に馴練されて居るわけだな」
「地理的関係もあるから、ね。昔のオランダ人なんかは随分、そういう長崎婦人の美点をエンジョウ
前へ
次へ
全15ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング