かだなあ、と少し鼻の頭に皺をよせるような笑いかたをしてサヨを見ることだろう。サヨはおとなしい優しい気になりながら笑いやめて締りをあけるのであった。
夏になって、原っぱの草はそこを通り抜けて近道をゆく人の腰から下をかくすくらいの高さに繁った。バッタ捕りの子供たちが一日じゅうその草の間をわけて走った。原っぱの右側の遠くに日の丸の旗が風にはためくようになった、そこが自動車練習場になって、幌形のボロ自動車が前進したりバックしたりしているのが遙に見られた。噂さでは、原っぱはこのままにしておいて、やがて飛行公園にするのだということだった。樹木も何もない草地へいきなり飛行機が着陸できるようにしておくのだそうだ。そういう噂さも、戦争のはじまっている時節がら、根のないことばかりとも思われなかった。
針金のきれめから入って原をつっきってゆくサヨの薄青いパラソルは、かーんと照りあがった夏草の上で上下にゆれながらだんだん小さくなって行った。
人がとおると、バッタが急に足元から飛び立ったりして、目をとめてみれば赤のまんま[#「赤のまんま」に傍点]の花も咲いている。その夏、原の端れの黒っぽい家々の一軒では、自然のうつりかわりなんぞに気を奪われている暇はないというように殺気だった意気組みで、姉さんかぶりに上っぱり姿の女も交えた数人の男が、トラックのまわりにたかって盛に襤褸《ぼろ》のあげおろしをやっていた。
草がすがれるようになって、やがて霜がおり、冬が来ると原っぱは霜どけがひどくて歩きにくくなった。近道を大きい三角形にぬける通行人の数もずっと減った。
サヨはその季節になると、もう原は通らず改正通りの方から曲って来た。そして、計らずその通りにある下駄の歯入れやの爺さんと顔馴染になった。というのは、そこのところは道普請の前後で、猛烈なぬかるみが深くて犬でさえ行き悩む様子をみせた。その冬サヨは下駄の緒が切れたのが縁で、その歯入れやの店へよったのだが、奥行三四尺ほどの店の片隅を歯入れの仕事場にして、奥はいきなり横丁に沿ってなぞえになった四畳半もあろうかという構えだった。爺さんの顔も手足もかさかさと乾いているとおりその住居のなかも乾きあがって、僅か数本の古|蝙蝠《こうもり》傘があるばかりの有様だ。
東京ではごく生活の逼迫した区域にどうしてめでたいような派手なような名をつけるのだろう。たとえば
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