のかちっともわからないばかりでなく、もしこの時ふと親切心に動かされたひとが現れて、どちらへいらっしゃるのですかと訊かれでもしたら、サヨは我にもなく顔を赧らめて少しまごついたかもしれない。ゆくところがサヨ自身にわかっていなかった。というより、サヨは家を探す気でこっちの方へ歩いて来ているのであったが、そんな貸家がどこへ向ってどの道を行ったら在るのか、見当がついているわけでもないのであった。
 同じような三本の道筋だが、行手に高く見える欅の梢に心をひかれて、一番左の横丁を行った。
 東京じゅうに家が払底していた。サヨの住んでいる崖の上の小さい家は、重吉と一緒に世帯をもっていた家ではなくて、サヨが一人暮しになってから、友子やなんかと歩いてさがして越した家であった。その家が見つかったとき、
「あら、いいわこの家。寂しくないし、風とおしだっていいし」
とサヨは大変よろこんだ。そして、女主人なのに苦情も云われず借りられるときまったとき、
「ね、ここならいいでしょう? ほんとうによかったわね」
と狭い谷間の町一つへだてただけで、友子の住居に近いことも美点の一つとした。
 いそいそと快活に引越しをすることで、もとの家を去るようになった自分たちの生活の事情に積極の心もちもこめる思いで、サヨは元気よく転居した。
 こういうかたちの生活に、さっぱりとした感情をもって生きてゆくことも、女がそこまでおしすすめられて来ている愛情の姿なのだ。そう思ってサヨは暮した。
 引越した年の冬、或る寒い晩、寝いってほんの暫くしたとき、突然ドドーンと爆発したような音と同時に家じゅうが震えて、サヨは思わず床の上へ起きかえった。そして、スタンドをつけた。その灯をひとりで見守りながら体をかたくしていると、間をおきながら続けてドドーン、ドドーンと二度鳴って、その度にガラス戸がビリリビリリ震えた。見当は王子の方角である。もう爆発なことは明かであった。何処なのだろう。次の轟音を待ったがもうそれはやんで、今度は遠いすりばんが冬の夜らしく鳴り出した。そっちの空で犬の吠え声がおこった。
 急に寝間着一枚の肩にしみとおる寒気に心づくと一緒に、サヨには、自分のところをのぞいてあらゆる附近の屋根屋根の下で、この瞬間夫婦がぱっと床の上におきかえっていて、灯をつけていて、何なんでしょう! おびえたようによりあった気持で顔を見合わせている
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