わり]

    書簡(二〇)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。黒白《ブラックアンドホワイト》の漫画絵ハガキの右手にはケムブリッジ案内と書いた部厚な本を抱えた紳士を従えた市長が、胸に授を飾り、脱帽して高貴な訪問者に挨拶している。頭にタ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーンを高くまきつけ、白袍をまとった所謂インド王族がそれに勿体ぶった礼をかえしているうしろで三人の随伴者がかたまって、おい芝居がうまく行きすぎるぞ、という苦笑顔である。
[#ここから1字下げ]
 英本国とインドとの関係、それにつれてのインド王族らに対する外交的儀礼をケムブリッジの学生らの若さが揶揄するところ、到って興が深い。更にこれらの若者が長じていつしかこの市長の役を演ずるに至るであろう過程に於て、罪なき笑劇は悲劇にかわるのである。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二一)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。父はこの時代自転車にのっては、よくころがったことがあったらしい。その不如意なる父が目を瞠って少女の曲乗に感歎している様はまことに面白い。活動写真が真に迫る云々。幻燈のことであろうか。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二三)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。面に黒ラシャを張って、ガラガラとフォールディングになった開きのついたデスクの上に、母は円ボヤの明るいラムプをつけた。その下で、雁皮紙を横綴にしたものへ、真書き筆で、こまごまと父への手紙をかく。雁皮紙は何枚も厚く重ねてこより[#「こより」に傍点]でとじられた。六歳である私は、そのデスクにやっと顎をのせるほどの背たけに成長している。母は、おかっぱの私の右手に筆を持たせ、我手をもち添えオトウサマ、ハヤクカエッテチョウダイ、ユリコと書かせるのであった。或夏の夜特別な燈火の下で母と子とがそうやっていたら、突然、桑田さんの方で泥棒! 泥棒! と叫ぶ声がして、バリバリ竹垣を踏破る音が起った。母は、さっと廻転椅子を立ち上るなり、物をも云わず庭に向ってまだ開け放されていた椽側の雨戸をしめた。宵の八時頃であったろうか。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二四)

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註。キャップ、アンド、ガウンの大学生が街燈のガス燈によじのぼって灯屋をあけ煙草をすいつけようとしている。そこへ来かかったのは、太った体にガウンをゆさゆさと着、胸に白ネクタイを下げた学生監並にシルクハットにフロック、コオトのブルドック二人である。漫画の題はTRAPPED、大学スケッチ第八。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二五)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。夜の歩道。一人の学生が巡査の帽子を失敬して一目散に走り出した。その代りに三角帽をのせられた本人。いそいで追っかけている後でうまく逃げろ! と燕尾服のズボンに片手を突こみ片手には手袋を振って声援しているもう一人の学生。更に一人は瓦斯街燈にからみついて他愛がない。遙か彼方から、重い体で学生監がかけつつある。
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「EXCHANGE IS NO ROBBERY。」
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二六)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。この塗絵帳のことは、かすかに、かすかに思い出せる。エハガキ四枚が一頁に入っていて、羊と遊んでいる少女の絵などが線であらわされていた。母は私に絵具を買ってくれたろうか? 色をつけて父に送っただろうか? 覚えていない。私はきっと又母に手をもち添えられて、夜の燈の下で遠いところの父へ、その礼の手紙をかいたことであったろう。この本のほか、父は子供たちに折々様々のものを送ってくれた。両手にもつ柄のところに鈴のついた繩飛びの繩だの、臥かすと眼をつぶる人形だの。そういう箱を開いたとき、芳しく鼻をうった一種独特の西洋の匂いだの、その時分は全く珍しかったティッシュ・ペイパアのさらさらした手触りだのを、今も鮮明に感覚に甦らすことが出来る。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二七)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。この時分の三人の子供達あてのエハガキの英文宛名は、大きい字で
[#ここから1字下げ]
  Three little Froggs
     in
        Japan
とかかれている。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二八)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。この写真が、あのコダックでとられたのであろうか。父が帰朝した日は雨ではあったし、子供の心に大きすぎる感動の数々で、私は白麻の洋服を着て、くたびれて、横浜から東京までの汽車の中では父の横へくっついて眠ってしまった。肩へ茶皮のケースに入った重いコダックをかけたまま。そして、誰かがそれをとろうとすると、半寝呆けながら「いや、お父様んだから百合ちゃんがもっていく」と拒みながら。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(二九)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。軽い夕飯を食っているのはグリーン色の縞のスカートに膝出したハイランダアである。炉辺にかけて、右手でパン切をかじり、片手の壺は牛乳か麦酒か。炉の前にフイゴが放り出されていて、床は不規則なごろた石をうずめてある。一つ一つ色ちがいなその石の面を飛びわたって、父は隙間もなく日本字を埋めている。藻塩草 150 とかかれているところは窓のカーテンであり、無声と署名するのに、わざわざマントルピースの上に置額を描いている。父とロンドンの生活とにまだその頃は在った閑静さ。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(三〇)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。おおこれは又何たる古典的「もうとるかあ!」燃えるような落日に森が黒い帯と連っている路を一人の美人が「もうとるかあ」を操縦して馳けている。坐席がびっくりする程高いオープンで、ギヤー・ブレーキ・ハンドルすべてが露出である。エンジンだけが覆われている。ハンドルは坐席に合わせてまるで低いところについているから、美人は愛嬌よい顔をこちらに向けつつも背中は痛々しい程の前屈みになっている。
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 だが、私は妻としての感情から、妻としてのこのエハガキをよんだ時母の心に何か戸惑いを生じたであろう瞬間の感情を察して微笑する。何故なら、父は大した考えなく一般的に、翼がなくて何処までも飛べる発明が出来るまで生きたいという心持を云っているのであるが、一通りこの夕焼空の上にかかれた文章を読むと、何だか、この世にそんなことが起る頃まで待つこそよけれ、待っていたがよいと云っているようで、そう云われているのは、留守をしている妻、自分であるかのような、妙な混雑を感じる。そして、子供らしくむっとして、其那頃まで待たされてはかなわない、という気がする母は、雁皮紙の便りに、この文章について何と書いたであろうか。それが知りたいと思う。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(三二)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。省吾は父の二弟であったと思う。東京帝大法科卒業の年に漂然とアメリカへ行ってしまった。熱心なホーリネス信者となって、多分明治三十九年の秋ごろ帰朝したが、間もなく中耳炎を患い手術後の経過思わしくなくて没した。父と性格は大変に異っていた。一本気な、やや暗い、劇しい気質であった。私は暫時であったがこの伯父から非常に愛された。沢山のバイブル物語をおそわった。小学一年生で、友達の告げ口をした時、つねられた。死の恐怖を知ったのはこの省吾伯父の没した時であった。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(三三)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。この年、父が事務的な用向をもってニューヨークへ赴き、二十歳ばかりの私も伴われた。郵船の伏見丸。左側に献立を印刷し、右手に松と二羽の丹頂鶴の絵を出した封緘にこのたよりはかかれている。裏の航路図に、インクであらましの船位がしるしてある。
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    書簡(三五)

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註。一九二九年の一家総出のヨーロッパ旅行は、父の経済力にとって、又母の体力にとって、超常識な決断であった。父は、母を海外へつれてゆくについて、万一の場合、子供らから離れていては母がさぞ悲しいであろうと、長男夫婦、末娘までを一行に加えた。
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 私は二年前よりモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]に居り、五月マルセーユまで行って、家の一行と合した。母は、一生に一度は見て置きたいと云っていた外国旅行の間、驚くべき努力で毎日日記をつけた。父は母の永年の労をねぎらうためと、一九二八年八月一日に三男英男が自分から生命を断った、その悲愁から母の心持を転換させようとこの旅行を企てたのであった。母は一九三四年六月十三日に持病糖尿病から肺エソになって没した。後、母の残した日記を集めて「葭の影」という一冊をこしらえた。一九三五年四月十八日、父の第六十八回目の誕生日に、私が父を気に入りの浜作に招き、その席で「葭の影」という題名を父が思いついた。「葭の影」のこの日の条には、こう記されている。「七月廿七日、晴。涼し。前略。交際馴れた近藤氏はロシア語も自由であるらしく、種々とメヌーをくり返して注文された。羊肉の串焼を高く捧げて、一人の助手がそれを恭々しくぬいては客に供する、実にこと/″\しい。そのうちに、この家独特のロシアの貴族? の一団によるバイオリンやヴオーカルがはじまり、婦人の出る時は、その度々電燈が消された――踊り手だけを照らしつゝ――」云々と。一九二九年以後ヨーロッパ、特にフランスの事情は一変して、漫遊客の数は今日劇減している、思えば我が一家は、世界事情が将に一転化しようとするその前夜、未だ夥しくヴルヴァールを彷徨していたアメリカ人の間に計らずも互していたのであった。
[#ここで字下げ終わり]

    書簡(四〇)

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
註。この旅行へ出発した朝、車が本郷一丁目辺まで来た時、父は自分が紙入だか何か忘れて来ていることに気付いたのだそうであった。国男がいそいで引かえし、特急に間に合わせようとしたが到頭駄目であったので、金は電報為替にして送り、紙入その他は又別に送ったりした由。この秋、父は何年ぶりかで、計らず最後となった奈良の古美術足脚をしたのであった。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年7月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「中條精一郎」国民美術協会
   1937(昭和12)年1月発行
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2009年8月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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