父の二弟であったと思う。東京帝大法科卒業の年に漂然とアメリカへ行ってしまった。熱心なホーリネス信者となって、多分明治三十九年の秋ごろ帰朝したが、間もなく中耳炎を患い手術後の経過思わしくなくて没した。父と性格は大変に異っていた。一本気な、やや暗い、劇しい気質であった。私は暫時であったがこの伯父から非常に愛された。沢山のバイブル物語をおそわった。小学一年生で、友達の告げ口をした時、つねられた。死の恐怖を知ったのはこの省吾伯父の没した時であった。
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    書簡(三三)

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註。この年、父が事務的な用向をもってニューヨークへ赴き、二十歳ばかりの私も伴われた。郵船の伏見丸。左側に献立を印刷し、右手に松と二羽の丹頂鶴の絵を出した封緘にこのたよりはかかれている。裏の航路図に、インクであらましの船位がしるしてある。
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    書簡(三五)

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註。一九二九年の一家総出のヨーロッパ旅行は、父の経済力にとって、又母の体力にとって、超常識な決断であった。父は、母を海外
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