では父の横へくっついて眠ってしまった。肩へ茶皮のケースに入った重いコダックをかけたまま。そして、誰かがそれをとろうとすると、半寝呆けながら「いや、お父様んだから百合ちゃんがもっていく」と拒みながら。
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    書簡(二九)

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註。軽い夕飯を食っているのはグリーン色の縞のスカートに膝出したハイランダアである。炉辺にかけて、右手でパン切をかじり、片手の壺は牛乳か麦酒か。炉の前にフイゴが放り出されていて、床は不規則なごろた石をうずめてある。一つ一つ色ちがいなその石の面を飛びわたって、父は隙間もなく日本字を埋めている。藻塩草 150 とかかれているところは窓のカーテンであり、無声と署名するのに、わざわざマントルピースの上に置額を描いている。父とロンドンの生活とにまだその頃は在った閑静さ。
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    書簡(三〇)

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註。おおこれは又何たる古典的「もうとるかあ!」燃えるような落日に森が黒い帯と連っている路を一人の美人が「もうとるかあ」を操縦して馳けている。坐席がびっくりする程高いオープンで、ギヤー・ブレーキ・ハンドルすべてが露出である。エンジンだけが覆われている。ハンドルは坐席に合わせてまるで低いところについているから、美人は愛嬌よい顔をこちらに向けつつも背中は痛々しい程の前屈みになっている。
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 だが、私は妻としての感情から、妻としてのこのエハガキをよんだ時母の心に何か戸惑いを生じたであろう瞬間の感情を察して微笑する。何故なら、父は大した考えなく一般的に、翼がなくて何処までも飛べる発明が出来るまで生きたいという心持を云っているのであるが、一通りこの夕焼空の上にかかれた文章を読むと、何だか、この世にそんなことが起る頃まで待つこそよけれ、待っていたがよいと云っているようで、そう云われているのは、留守をしている妻、自分であるかのような、妙な混雑を感じる。そして、子供らしくむっとして、其那頃まで待たされてはかなわない、という気がする母は、雁皮紙の便りに、この文章について何と書いたであろうか。それが知りたいと思う。
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    書簡(三二)

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註。省吾は
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