うことに甚大な関心がもたれる。東は東、西は西と云う考えをもちつつも、バックは西の心で東を見ているのではない。彼女は、東の心で西へ向って、東は東と云っている。現実の問題として、ここでもバックの眼が碧《あお》く皮膚が白いことは、皮膚の黄色い民衆から彼女を撥《はじ》き出していないのである。バックと同じ眼の色、皮膚の色をもったアグネスがそうである通りに。中国において、この二人の特色ある婦人の文筆活動家たちは、或る渦の中からと、その外からと、働きながらおのずと近づきつつあるように見える。バックが自分で歩いているとも知らず、熱心に周囲の民衆を眺め、共感しているうちに、時代そのものが彼女をすすめて、アグネスの居り場処に近づけつつある。
 バックの最近の作「闘える天使」をよむと、彼女には、もう一つの発展の契機がのこされていることが分る。それは主として境遇的なのである。バックは中国の拳匪の乱にふれた箇処でこう云っている。彼女の父「アンドリウのごとき人物の行為は、たとえ高潔な目的と善良な意志から出た正義にもとづくものとしても、一種の帝国主義として許し難い。――と理性は認めることが出来る。しかも心は戦慄せざ
前へ 次へ
全18ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング