る。その点をパァル・バックはどう考え進めているであろうか。
日本びいきといわれているヨーロッパ人の日本らしさ[#「日本らしさ」に傍点]を愛し支持する心持の表現を、一般の常識あり且つ穏健な日本人が時に苦笑をもって迎えなければならないことがある。日本の美といえば京都、奈良、お濠の景色というのは、ものを知らない観光客だけではない。カソリック詩人のポール・クロウデルも、日本に来たときは、お濠の石垣を詩につくったし、日本の柳、三味線、徳川時代の服装の女を配した夢幻劇をつくった。日本の女の美は昔風のしとやかさ、髷、袂にあるとヨーロッパの女にいわれて、ある当惑を感じない今日の若い女、ジャン・コクトオの日本[#「日本」に傍点]を苦しく感じない知識人があるであろうか。最も当惑することは、ヨーロッパ人が日本を観賞するそういうマンネリズムを、国内的に逆用される場合である。日本のねうちはそこなのだから、と外からの皮相的な日本を見る目を内へあてはめて、利用される場合である。そういう場合は、無邪気で無責任なそして無智な観光者の異口同音さえ、その国の一般人の実際生活の上では案外の重圧と転化して上からかぶさって来る
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