いた事があった。
新らしいのが来てから十日ほど立って、
「いつまで何してもきりがございませんから、
明日か明後日お暇をいただこうと思って居ります。」
とさきは案外落ついて云った。
千世子は買って置きの銘仙の反物と帯止と半衿を紙に包んで外に金を祝儀袋へ入れた時それを持ち出すのが辛い様な気がした。
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体を大切におし、
行った先は知らせるんだよ。
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こんな経験のない千世子はこう云う時にどう云ったら一番好いんだかわからなかった。
さきは、涙をこぼすばっかりで何とも云えなかった。
そして出て行くその時まで、
「またいじめられたら参りますから、
どうぞ、死ぬまでお置き下さいませ。」
とくり返しくり返し云って居た。
千世子は上り口まで送って行った。
汽車の時間に後れるといけないからとようやっと出してやりながら泣きぬれた顔をかくす様にして車にゆられて行く女を見た時も一度呼び返して肩でも抱えてやりたい様に思えた。
後から行く車の幌のすきから、林町の家でもらった中古の小箪笥が遠くまでも見えて居た。
翌々日かなりしっかりした手蹟《て》で安着の知らせと行く先の在所と両親の言伝を書いたさきの手紙がとどいた。
それを千世子はいつもになく引出しにしまったりした。何となし足りないものが有る様に千世子は毎日少しばかりずつ書いたりして暮して居た。
五月の月に入ってから千世子はとうとう旅へ出る事にきめた。
身一つな千世子は気の向いた時着換えを入れた小さなドレッスケースを一つ持って新橋へさえ行けば事がすむんだった。
天気の静かな日が二三日つづいた時千世子は何とはなし落つきのない心を抱えて林町へ行った。
せわしそうに妹に、
「私ね、今度一寸海へ行って来ようと思うんです、
いつも体をわるくするから。
それでねえ、
まだあの女が来て間がないから気の毒だけど信用がないんですよ。
だから暇々にちょくちょく誰か見せにやって下さいな、夜だけ、じいやを、とまらして下さると尚いい。」
とたのんだ。
「姉さんはいつでもほんとうに短兵急な方だ、
幾日位行っていらっしゃるの。」
「二十日位、せえぜえ。
私だってそう暢気でもないんですよ。」
妹にうけ合ってもらって千世子は安心して家に帰った。そしてすぐ、きよにその事を話した。
別にいや
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