力をもたないたちだということを発見した。嫉妬の苦しさは想像がそこに生々しく参加するからだ。恐怖がそうであるように。この話はもう一つのことをわたしに教えた。彼女が、どんなに自分の働く条件そのものだけに自分の存在を区切って暮しているのかということについて。つまり家事労働にもあらわれている労働力搾取に対して、どんなに自分を非人間にして防衛することを学んでいるかということについて。
またこういう話もした。
「田舎の男って、ほんとにおっかないったらないの、活動見に行って、かえりなんか三十人も男がついて来るんだもの、娘十人ばっかしに、三十人も男どもがおっかけて来て、畑ん中までおっかけたりして、ほーんに野蛮だからね、おっかないったら」
この話には誇張がある。浅草紙ににじむ墨で描いた戯画のような誇張がある。そして、そのことのなかに彼女の青春の現実の単調さが訴えられている。
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング