本年の初頭に、横光利一氏が「厨房日記」という小説を発表した。その中で奇妙な民族の優越性の解釈と知性の放棄とを主張し、流石《さすが》の彼の追随者たちをも愕《おどろ》かした。
 その後数ヵ月を経て、森山啓氏の「収獲以前」という小説が発表されたのであったが、この小説はその作品としての成功不成功にかかわらず、知識人と民衆との相互関係の理解における一つの反映として、今日尚見かえるべきものを含んでいた。「収獲以前」は、一般の読者に作者と殆んど同一人と想像させる左翼的な主人公をめぐる家族関係を描いた小説である。作者は、いうところの世界観やものの見かたにとらわれず素直に素直にと志してこれらの人的交渉を描いたことを自らの新しい立場として語っていた。
 左翼的詩人、評論家としての作者の境遇は、語られているところに従って推察すれば勤労者的な家族の中における或は唯一人の知識人、意識人である。運動の波がひいたとき、この作者は自分のまわりにある家の中の人々の庶民的な顔を長め、素朴な、自然発生的な生きかたを眺め、それを庶民的な、民衆的な素直[#「素直」に傍点]さとして胸をうごかされ、自分自身も素直になって[#「
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