わり]
『プロレタリア文学』一月号所載中條の論文「一連の非プロレタリア的作品」に対して、同志藤森は二月号同誌に「批判の批判」二月五日『東京朝日新聞』に文芸時評「我等の運動」を、同志林は『改造』二月号の文芸時評において、同志神近市子は『日日新聞』月評において、それぞれ反駁、批判を発表した。
私は、これらの反駁、批判を注意ぶかく読んで、自身の論文について多くのことを学んだと同時に、それらの反駁、批判それぞれが又そのものとして、われわれプロレタリア文学運動をレーニン的段階へと押しすすめて行こうと努力する者すべてにとって、種々見落すことのできぬ問題をもっていることを発見した。この一文は、それら両面からの問題を明らかにするために書かれたものである。
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「一連の非プロレタリア的作品」に対して与えられた諸同志の批判を見ると、そこに一貫して云われている幾つかの共通なことがある。その一つは筆者中條が「無反省的思いあがり」で「ABC的観念的批評をやりながら」「おそろしくいい気持で」「傲慢な罵倒」を「小ブル的自己満足」をもってしている。(同志藤森「批判の批判」)又、中條という「
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