くべきであった。
「北方のともしび」(今泉運平)は、日本の野蛮な治安維持法が、リアリズム綴方、生活教育という今日では常識としてたれ一人疑わない方法を主張したような教員まで投獄した時代の記録であり、検事の調べぶりや、出獄してゆく仲間のあとにとりのこされたときの気持など、相当実感をもって描かれている。しかし、これもやっぱり文学として、誰の心にも訴える力を欠いている。主人公である先生の理屈の上でもっともな面だけを描いているし、終りも突然のヒロイズムで結ばれていて、読者にはこまかい心のいきさつがのみこめない。無邪気によい教育をする先生でありたいと思う心からの動きを投獄というおどかしでねじ伏せたところが過去の治安維持法の非人道的ないわれである。
おとなしい従順な「出発」に描かれているような教師の踏み出しをした人々さえ、その繩にとらえたところが、権力の野ばんであった。観念の上でのヒロイズムで決して解決しなかった力であったからこそあれだけ私たちは苦しめられた。こういう題材でヒロイズムは作品の人間らしさを奪う役にしか立たない。
[#地から1字上げ]〔一九四八年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「週刊教育新聞」日本教職員組合
1948(昭和23)年1月1日号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
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