にものを運び込んで、目ぬりまでし、曲って大扉のしまらないのに困って居た。
 井戸に、瀬戸ものをつるしまでし。なかなか十五六の男の子としては大出来の功績をあげた。
 二日
 事ム所まで行って(勿論歩いて)見ると、三崎町辺、呉服橋ぎわ、その他に人間の死体がつみかさね、やけのこりのトタン板をかぶせてある。なるたけ見ないようにして行く。二人の老婆をどうして逃そうかと、松坂屋に火のついたとき、心配此上なかった。

 さいやの経験
 地震のとき、自分の三畳に居、はっとして、窓から戸外にとび出し門を出て気が遠くなった。近所の男にブランデーを貰って気がつき、それからは却って平気になって夜でも、明りのない蚊帳の中で目を醒して居る。弟が、ひどく心臓をわるくし、本所の奉公先から、浅草猿若町の医院に入院して居た。それを赤羽まで書生が背負って行ってくれ、あと兄が福島から来、三日、のまず、食わずでたずねた揚句、やっと見つけて、北千住につれて行った。よく助ったものなり。さい、十二日朝カンづめ類を背負い出かける、前晩も眠らず。

 大瀧全焼して、林町に一族で避難して来る。

 ○大学、化学実験室辺から火を発したらしい
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