居、人に会うために、ヤマトと云うレストランの地下室で電話帳を見て居た。ところへひどくゆれて来、ガチャガチャ器具のこわれる音がする。父上は、多分客や Waiter があわてて皿や何かをこわしたのだろうと思うと二度目のがかなりつよく来た。これは少しあぶないと、地平[#「平」に「ママ」の注記]室の天井を注目した。クラックが行くと一大事逃げなければならないと思ったのだ。ピリリともしないので、少し落付いたら、食事をする気で居ると、何ともそとのさわぎがひどいので出て見て驚いた。早速、郵船を見ると、どうもガタガタに外がいたんで居るし、内外はピシャンコになって居るし、もう警視庁うらに火が出たし、あぶないと思って、事ム所を裏から大丈夫と知り東京ステーションで Taxi をやとおうとするともう一台もない。しかたがないので、本郷座のよこに来ると今客を降したばかりの白札のに会う。のせろ、いやだめです、かえらなければならない。そう云わずに行けと押問答をして居ると彼方側からも一人駒込に行くからのせろと云う。それでは二人で行きましょうとやっと家にかえった。
かえって見ると、おばあさん二人は竹やぶににげ、英男が土蔵にものを運び込んで、目ぬりまでし、曲って大扉のしまらないのに困って居た。
井戸に、瀬戸ものをつるしまでし。なかなか十五六の男の子としては大出来の功績をあげた。
二日
事ム所まで行って(勿論歩いて)見ると、三崎町辺、呉服橋ぎわ、その他に人間の死体がつみかさね、やけのこりのトタン板をかぶせてある。なるたけ見ないようにして行く。二人の老婆をどうして逃そうかと、松坂屋に火のついたとき、心配此上なかった。
さいやの経験
地震のとき、自分の三畳に居、はっとして、窓から戸外にとび出し門を出て気が遠くなった。近所の男にブランデーを貰って気がつき、それからは却って平気になって夜でも、明りのない蚊帳の中で目を醒して居る。弟が、ひどく心臓をわるくし、本所の奉公先から、浅草猿若町の医院に入院して居た。それを赤羽まで書生が背負って行ってくれ、あと兄が福島から来、三日、のまず、食わずでたずねた揚句、やっと見つけて、北千住につれて行った。よく助ったものなり。さい、十二日朝カンづめ類を背負い出かける、前晩も眠らず。
大瀧全焼して、林町に一族で避難して来る。
○大学、化学実験室辺から火を発したらしい
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