低五十銭以上の貯蓄をすすめられているものには、では、あれはちがうのかしら、と思われた。法律としてつくられていないものは、強制にはならないとあれば、民間の実感からいつとなし強制貯金という言葉が生れて使われていることもまた別様の意味で面白い。
 今日の電力不足は旱天が大半の理由でありましてと、勝逓相の答弁が始められると、議場にどっと笑いがおこり、傍聴席も何となし口元をほころばした。
 藤原銀次郎という名に対して、あの演壇に立っての柔らかな声、物腰とは、会社の会議じゃないのだゾという彌次を誘い出したほど、いかにも社長さんらしい。実は事務引つぎもまだすっかりすんでいませんので、とお得意の頭を下げれば、の手であろうか、度胸はよい。
 歌舞伎芝居でも大向の彌次というものは、あなどりがたい批評家である場合があるし、その道の通でなければ、大体ああいう声そのものからして普通の喉から突嗟にしぼり出せるものではない。彌次は庶民の瞬間的批評の発現の形でもある。議会で彌次をとばすのは、日本だけのことではないのだろう。しかし、日本のは、一つの特色にまでなっているのではないだろうか。多数のなかには彌次の名人というよ
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