ざいますって、そういう声もしている。休会あけが十日のびたというばかりでない興味と期待とが、米内内閣の議会にかけられているというところもあるのだろう。

 正面、幕のおろされた「玉座」の下の右と左とについている時計が秒から秒を運んで一時に近づくと、守衛が、一きわ声を張って注意を与えた。間もなく開会となりますが、その前に傍聴券をお出しになってもう一度よく裏に書いてある規則をお読み下さい。意見を表示する拍手を一切してはいけないということや、取締り上必要と認めたときには退場させるということなどが、細かい字で印刷されているのである。ほかにすることもないから皆がすなおに出してよみかえした。
 やがて一時半となり、今にも、と待つが、二時になっても目の下の議席は空っぽのままである。地下道を入ったときから一列におかれて傍目もふらず席まで運ばれて来たような傍聴人席にも、どこやら、だれたざわめきが漲って来た。しきりに手洗いに立つひとが出来た。それは婦人席にもあって、計らぬ小競合を生じた。というのは、遂に二時も過ぎて倦怠が傍聴席に満ちて来たとき、開会はもう三十分ほどおくれる見込みであるということがやっと通告された。そしたら婦人席のわきにいた守衛の一人が、手洗いに立つならば今のうちに、という意味をいったそうで、数人が立ち、隣席の三人づれも立った。程なく三人の別な女のひとが来て、そこは先着の人がいますというのもかまわず上の守衛がいいといった、出た人には代りを入れるとことわったのだからといって腰をおろしてしまった。婦人席の傍に立っている守衛は、上のひとが独断でそうしたが仕方がないとごちゃごちゃいっているところへ、先刻の三人づれが戻って来た。わり込んで腰をおろした女の人たちの二人は、守衛さんが云々とそれを楯に動こうとせず、先着の一人が化粧の顔に怒気を浮べて、わたしはひとの席までとっては、よう座りませんからと啖呵を切るようにしたら、守衛も、ここのところは先着の人に坐らして下さいと仲に入り、二人はぷりぷりして出てゆき、少なからず興奮した三人づれの人たちが辛うじて元へ納まった。傍聴席はどこも退屈だらけの折柄、衆目がこの小競合の上に集った。女のひとは図々しいもんだね。そういう男の声もした。
 五、六時間の席に堪えない習慣で暮している日本の婦人たちの体力や着物の条件についても女として考えさせられるし、議会傍聴というようなことが、女の日常にとって何か特別なことと思われていて、来ている婦人が皆それぞれのつて[#「つて」に傍点]や背景を脊負っていて、それをまた女の狭い未訓練な社会感情のなかで自分に許されるはずの優位のように我ともなく思ったりしているところもあるらしい。そのことが、こんな小競合のなかにも現れて、妙な女の押しつけがましさや、或はそれへの反撥のあくどさともなって来る感じである。
 小波瀾が納まると、再び、待ちくたびれてどんよりとした重苦しさが場内に拡がった、そこへ不意にパッと満場の電燈が打った。わーというような無邪気な声と笑いが一斉に低いながら湧きおこった。国技館でも灯が入った刹那にはやはり罪のない歓声が鉄傘をゆるがしてあがる。人間の心持の天真なところが面白かった。
 四辺が煌々と明るくなるとますます目の下の空っぽの議席が空虚の感じをそそる。遠くの円形棧敷の貴賓席に、ぽつりと一人いる人の黒服と白髪の輪廓も鮮やかにこちらから見える。
 開会されたのは三時すぎであった。何百何千のひとは、今朝になるまで、この未曾有の遅延が、「質問順位で大荒れ」を理由とするとは知らず、二時間以上待っていた次第であった。きのう知らないばかりか、きょうになっても大荒れの必然はよく理解されまい。何故なら、普通の人の感情では質問の順番が、どうしてそれほど重大なのか、結局前もって告げられていた通りの順で、ともかく過ぎ得たものを何故一応揉まなければならないのか、納得しにくいのであるから。
 所謂選良たちを選び出している一般人が、傍聴人となって議事堂の内にあらわれているわけなのだが、これと議員と議会というものの関係は、現実とはちょっと違った風に扱われているのが議事堂内で感じられる実際の空気である。議員は傍聴人というものを、はったりをきかすときだけ念頭に浮べるのかしら。万事、聴かせてやる、工合に塩梅されているのも、独特であろうと思う。

 さて、漸く各大臣も着席し議長から開会が宣せられた。指名にしたがって米内首相が登壇した。悠《ゆっ》たりとしたモーニング・コートの姿である。その恰幅と潮風に鍛えられた喉にふさわしい低い幅のある荘重な音声で草稿にしたがって読まれる演説は、森として場内の隅々まで響いた。どことなしお国の訛が入る。
 つづいて桜内蔵相。内容はともかくとしてやはり声はよく耳に入った。畑陸相が登壇す
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