は断片的にではあるがいろいろ感銘のふかい話を聞いたが、その中で特に心に銘じたことが一つあった。それはあちらに行って実際に見れば、よきにつけあしきにつけ東京にいて聞きしにまさる有様だが、同じ稗《ひえ》を食っている村の農民でも、そこに農民組合のあるところとないところでは、若い農民はもとよりのこと、老人連でさえ全く元気が違う。同じ稗と木の実、松の皮を食いつつ組合のあるところの村の農民は、顔色までいくらかましであるので、非常に考えさせられ、感動したという話なのである。
私にとって、これは忘られぬ話となった。大衆の自発的な力はすっかりつぶれてしまったように思われ、思わせられている今日、この話は深い教訓をもっている。我々をつき動かす内容をふくんでいるのである。
足かけ三年前、『働く婦人』という婦人のための雑誌が出ていた時分、一般の婦人雑誌がとりあげるに先だってそこの婦人の記者が東北飢饉地方を視察にゆき、その記事を連載したことがあった。現実を正しく反映するそういう種類の婦人雑誌がなくなることも、今日叫ばれている身売り防止事業の本質を理解するとき、改めて私共にうなずけるのである。
先頃新聞に、飢
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