ぬ民子の気づかいを引起しつつ暮す次第が、すらすらと巧に描かれているのである。
 山奥の世間知らずで、物心づくとから左翼的な考えかたでだけ育てられた十六の娘の一本気で、非実際的な気持や姿がガスのひねり工合一つにさえ神経を用いなければならぬ都会の家庭生活の細々した有様の描写を背景としてまざまざ書かれている。良人仙吉とは文学の階級性についても違った考えをもっていて、過去においては信州のその村へも講演に行ったりした民子が、そういうとし子の出現につれて、彼女の当惑をどちらといえば揶揄《やゆ》する周囲の良人・良人の友達などに対する気がね、気づかいの感情もどこやらユーモアをふくんで、私は女らしい筆致でよく描き出されていると思った。
 平林さんは、この小説を、旧ナルプの機械的指導の一つの反映、そういう指導が生み出した一つの娘のタイプとして観察し、「一つの典型」という題をもつけて書かれたらしく想像された。その考えかたについての論議をここでしようとは思わないのであるが、私はこの一篇の小説から、本当に田舎出のごく若い娘たちが急にこの東京の切りつめた都会生活に入って、どんなに様々の可憐な人にも語ることの出来な
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