ようとしていることに立腹を示したものであった。
鈴木さんばかりがそう思うのではない。私はその文章をよんだ時はっきりそう思った。私たち皆そこまで現実を見ているし、地方の人は猶更はっきりそのことを思っているにちがいないのである。
この頃真理運動ということを云い出して、都下の中途半端な学生などの間に或る人気をあつめはじめている友松円諦という坊さんは、文芸春秋の新年号に「凶作地の人々に与う」という題で一つの意見を公にしている。
友松は、東北地方の飢饉が今年にはじまったことでないということについて、その地方における地主と小作との関係の中に原因をつきとめず「彼らは恵まれた自然に慢性になっているらしい。ここに私達がまじめに考えなくてはならぬ点があると思う」と、東北における農民の窮乏根治策のために「農村真理道場」というのをそういう地方に設けようとする広告を発表しているのである。そして、自分が骨を折って若い男女の冬期間だけの出稼ぎを援助し、「村民の気分を作興して」例えば娘の身売りを平気でさせる「貞操に関する観念の極めて鈍感であることを」改善しなければならぬ。「真理道場の第一の使命を農村文化の向上において、科学、哲学、宗教に関する真理文庫をつくったり」、講習をしたりすること、健康増進をはかりたい等説明しているのである。そしたら「十年二十年の間に見ちがえるような東北地方が出現するであろう」と思うというのが友松の意見であるが、果してそれが現実の問題としてどの位しっかりした具体性をもっているかということになると、私は恐らく文芸春秋の全読者が、あまりハキハキした肯定的な返事はしないであろうと思う。
昔から有名な宮城野信夫の義太夫は、既に東北地方から江戸吉原に売られた娘宮城野とその妹信夫とを扱っているのである。殿様、地頭様、庄屋様、斬りすて御免の水呑百姓という順序で息もつけなかった昔から、今日地主、小作となってまで東北農民の実生活は、果してどの程度の経済的向上が許されたであろう。アメリカと交歓ラジオ放送が行われている今日東北の農民は床の張ってない小屋に家畜とすんで地べたに藁をしいて生活している。徳川時代でも、地べた以下のところで生きていたのではないであろう。日本の農民生活は、原始的な状態のまま搾られとおして、今日この複雑な国際経済関係のただ中にねじこまれて来ているのである。
宮城野信夫
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