にふれた時に我からはなれた我の中に生き、幼子の様なすなおな気持になる事が出来るのだ。
誰に言葉をかけられても快く返事が出来、開いた心地で笑う事が出来る様にして呉れるのだ。
私は心からこの美を讚美する。
そして又地球が滅びてもなお此ればっかりは滅びると云う事を知らないで輝いて居るものである事を信じる。
美はどこの暗い中にでも冷っこい隅にでもあるものだ、その普通の美よりももっと尊い美がより沢山ある事を若し思わない人が多くあったとしたらそれ等の人は自然から受くべき嬉びの半ばほか感じて居ない人達である。そして可哀そうな人達であるのだ。
自然に反向[#「向」に「ママ」の注記]心なく対して居る人は少ないと私よりも年を取った経験と名づくべきものを沢山に抱えて居る人が云った事を聞いて居る。
けれ共私は心のありったけ自然を讚美し崇拝して居る。そしてそれは私の今の気持には幸福な事を知って居る。かなり長い時間が私が自然をなつっこがって居るうちに立った。
初めは只偉大だと思ったりかなりの細っかい美くしさを感じたりして居るうちに、私が思いがけなく見出したのがこの驚くべき繊細な美であった。
私の字のかかれる時には大方の時心の底にはこの美の力が発動して居る。そして思うままを書く事が出来、感じるままを唄う事が出来る。
この美を私が感じ始めたと云う事は私にとって一つの変化でそれからの私の心は自由に目にあまる自然の中を泳ぎまわる事が出来る様になったのだった。
この微妙な美くしさは私の行く所どこへでも宝石よりくらべものにならないほど何か目に見えぬ貴いもので私の心の宮殿を造って呉れ、その中に私をいざない入れて呉れる。
凡そ世の中に自分の信仰して居る神をいやしむものが有るだろうか。
自分の産みの母親を憎いと思うものがあるだろうか。
私は人々が自らの信ずる神に対する心持、産の母親に対しての感情をもってこのいとも尊い繊細な美を思うのである。
善い悪いを抜きにし只私の愛するものへ捧げるつもりで讚美し祝して、この筆を置く。
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1914(大正3)年3月28日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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