る力を持って居ると云う事を私は信じ私に対してはまったくそうなのである。
 こけおどしの利く勿体ぶった美のかげには常に何となくギスギスした、又人間で云って見れば「カブト町」に住んで居る四十近くの男の様に投機めいた様子のあるものを抱えて居る。
 しかし私の思う美くしさばかりは、どこの面をのぞいてもそう云う不快さは持って居ない。
 すなおに――しとやかに――さりながらやたら無精《むしょう》にかきまわす事の出来ない厳かさを持って居る。
 私達から進んで行ってその美に一致する事は出来ても、美の方から我々の心に入って来ない見識を持って居るのも勿体ぶった美くしさの向うから進んで私達に近づいて来るのとはまるで違って尊いものである。
 この美の我々の手になったものにあまりなくて大抵の時は自然の中に住んで居ると云うのもそうあるべき事で、又人間の手で造り出す事の出来ないものである事を私は望んで居る。
 一握りの土の中のただ黒いものの中にも、自らが進んで行きさえすれば想像もつかないで居た美が発見されるものである。
 色彩の工合いもなく、連想がどうあろうともどっちとも云われない感情がその美くしさから湧き上る。
 ただ名もない雑木が秋に会ってその葉を風情もない様な茶色にかえてガサガサして居る時、紅葉にくらべる美くしさはどこにもない様に思える。
 しかしにぶい日光がその葉の上にただよった時葉の縁には細い細いしかしながらまばゆいばかりの金線が出来てつつましく輝きながら打ち笑む様を見た時に、――――
 やがて見て居るうちにはわけのわからない涙がにみじ出して心の中には只嬉しさと謙譲と希望に満ちてその美の中に自らが呼吸して居る様な気持になる。
 私は誰はばかる事なく世の中の人すべてに云う事が出来る。
 人の血を見る事を恐れず明暮れを只争闘と罪悪に暮して悔ゆる所のない哀れな不具な心を持ったものどもでも、一度若しこの美くしさをしみじみと感じたならば、悔いと安心の涙にむせびながら尊い美を感謝するに違いない――――と。
 私は神をないものとは思わないながらもそれを信じて毎日毎日祈る事は出来ない、けれ共この美にささげる私の祈りは私が死ぬるその時までつづく長いものである。
 熱心な信者が聖母の御像を拝するだけで自らの行手に輝く光明を見出すと同じに、私はこの美によってすべての事を感じ思わされるのである。
 私はこの美
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