諸事情を、真に人民としての洞察と無私にたって観察すれば、こういう幾本かの筋が、くっきりと混沌の中から浮んで来るのである。
 私たちは自分たち自身を過りにおとしいれ思わぬワナにはめないために、食糧管理委員会の運営の方法について正しい知識をもたなくてはならない。この、民主的な自主の委員会は各区、各市、各地方と全国のひろがりで、到るところにつくられてゆくものである。そして、現実の食糧管理に当るときには、食糧供出、配給、その他必要な機構に関係をもつ行政権を、この委員会として掌握しなければならない。板橋の場合、発見した隠匿物資は、配給所がごまかしていたものではなかったのだから、委員会は、先ず連合軍に申し出たらよかったろう。連合軍は或は政府に通告し、政府は営団に一旦渡せというかもしれぬ。そこが区民としては虫が好かない点だったろう。虫のすかないのは同感だが、虫がすかないからと云って私たちは、素朴な、口実を与える方法で自分たちの大局的自主性を失おうとは思うまい。そこが談判のしどころであろう。その場の必要な行政的権限を確保しつつ、前わたしとして渡せば、営団のちょろまかす範囲はいくらかへると考えられまいか。発見した物資を、その場で人民がわけて、その責任は人民管理委員会に負わされるという段どりは、この大事な発展的な人民のための、人民のつくる委員会として幼稚なやりかたであろう。
 ごたごたに誘い出される暴力についても、人民自主のためには十二分の理解がいる。ポツダム宣言受諾後、現在日本の政府は、表面上は人民に向って行使すべき武力を失っている。人民に対して行使する表向きの暴力はもっていないという建前になっている。連合国は、日本人民の平和裏の自主性を認めているのである。地方にも都会にも様々の形で各機構に入りこんでいる右翼くずれ、特高の変形は、人民の統一行動を攪乱するのが唯一の任務であるから、一見勇敢な闘士めいて、どういう挑発をしないものでもない。もし人民が、現在日本政府は武力をもっていないという公の建前を無視して動けば、政府は、連合国勢力に誇大的訴えとして、人民に自治自制する能力なし、と実証し、反動に一歩前進しようと試みるであろう。人民の力の表現である真に民主的な政党は、治安維持法こそないが、他の変通自在な便法によって圧殺され、日本人民は、自主の黎明において自分の道をはぐらかされまいものでもないのである。
 農村の自主化、都市労働者の生産管理による必要物資のより多量の生産、消費者の自主的な組織と政治的見識ある食糧委員会の活動、この三つが一つの線となって結び合い、倶に活動して、はじめて人民戦線活動の一翼としての食糧問題も動き出せる。人民戦線の実体は、決して利益にあつまる烏合の衆ではないのである。[#地付き]〔一九四六年二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「サンデー毎日」
   1946(昭和21)年2月3日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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