そこまでデュ・ガールは足並確かにやって来ている。第三巻「美しき季節」では上巻だけの部分についてであるが、作者のこれまでの足どりは少し乱れて、歩調の踏みかえしもあり、何かはっきりしないが危期めいたものとすれすれのところを通っているような気配もする。「美しき季節」の幾箇処かに、ああこういうところにああいう作家や傾向が生れる社会の必然があったのかと、大戦後のフランスの社会的雰囲気が、直接作品の内容からより、その部分を書いている作者の態度から、感じとられるようなところもあった。例えばアントワーヌが、少女デデットのために応急手術をする場面の描写における作者の態度と、後の能動主義と云われた運動との連想。或は、エコル・ノルマルの入学試験成績発表日のジャックの落付きない心持の描きかたは第二巻「少年園」での作者とちがって、当時流行していた精神分析の手法を思い出させるなど。この篇で、デュ・ガールはあっちへひっぱられ、こっちへひっぱられそうになりながらも自分としての歩みをつづけようとして非常にテムポおそく進行し場面へのろのろと接触している。明確な判断の姿勢で、対象がわり切られてはいなくて、しかも作者のその様
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