三つの音の中には縦横十文字に歴史の波がうちよせ、さし引いている。一つ一つの私[#「私」に傍点]はそのようなものとしての私[#「私」に傍点]のありようを生涯に只一遍も自覚しないということはないであろう。在来の私小説はその発生の必然から、私[#「私」に傍点]は常に単数でしかあり得なかった。今日の生活の感覚は、私[#「私」に傍点]をもっと拡大しており、又複数にもしている。私[#「私」に傍点]たちと云わず、あり来った通りに私[#「私」に傍点]と云っても、その実質を成り立たせている社会要素は、複数としてしかあり得なくなって来ている。
 この現実では作家と云われる人々の私[#「私」に傍点]の実体も元より同然の組立てになっている。そして、現代のような時代を生きる人々の心には、自分たちの生きて来た日々、生きている刻々、生きるであろう明日について、ひっくるめてこの人生のあるありかたについて、生き、そして死ぬということについて、つくづくと眺め、わかり直し、再び感じ、自分自身に納得してみたい心持があるのだと思う。これには、文学しかなく、文学も小説しかないと云えるくらいのものである。
 今日の文学に何かを求め
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