が、とめぐり合いのよろこばしい感じで心を打って来る刹那の瑞々《みずみず》しさは、作品の世界の一般に欠乏している。
ここには簡単に云いつくされない、幾つもの条件がたたまって来ていると思う。
二三年前に、過去の身辺小説の狭さがとりあげられ、そこからの脱出として、よりひろい社会的な題材へ一部作家の関心が向けられて、少しそういう作品が出かかったとき、事変になって、急速に周囲の調子が変った。題材から云えば、そのまま一層ひろく、ひろくと拡がってゆき、拡りかたは如何にも惶《あわただ》しかったが、程なくその奔走の姿も新しい看察を伴ってみられるようになり、現在ではあれこれ表面的な題材に拘泥せず、今日の荒い現実のなかへ作家は身ぐるみとびこんで描けという気風にあると思う。
長篇・短篇と形の上での区分けが枝葉であるということも、作品の持ち味だとか、境地だとか、そんなものの翫味に散文としてこの小説の精髄はないと云われることも、それとして聞けば十分うなずけると思う。古来、本当に人間の肺腑にふれた文学作品で、ただの持ち味だとか主観的な境地だとかをよりどころとしてかがまっていた作品は一つだって無いことを、誰しも
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