人生の共感
――求められる文学について――
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)所謂《いわゆる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)わが身[#「わが身」に傍点]一つである
−−

 今日、私たちが文学に求めているものは何であろう。求められている文学とは、どういうものだろう。
 部分的ないろいろの要求というものは、いつもあったし、これからもずっと自分にもひとにも持たれつづけると思うが、特にきょう私たちが文学に求めている何かは、文学の本質にふれた何かであり、人生に向う心持の底の方にある何かの反映であるように思われる。日々に生きている感情のなかでジリッと何かが求められているのである。それが、あの作品、この作家への箇々の不満という風なものと直接結びつかず、云ってみれば、この人生とめっぱりこな気持のなかで求められている感じなのは面白いところであると思う。
 多かれ少なかれ、今日の現実は人々の心に文学への要求としてそういうものを目醒めさせているのだろう。だから、室生犀星氏のような、ああいう意図的に小説の世界を小説の世界としてこしらえつづけて来ている作家が、作家生活の時期時期によって何処で所謂《いわゆる》小説の鬼神をつかまえて見せるか、そのこともやまも知りきっているひとが、今日は小説らしい小説を書いていずに、現実にいきなりぶつかって行けというようなことを云っていられたりもするのだろう。
 いろいろな作家によって、散文精神ということも云われている。だが、面白いところは、今日文学に求める何かを切実に感じて胸にもっている多くの人々は、いろいろの作家がいろいろの表現でそれぞれの探求を表現しているのをもちろん注意ふかく、敬意をももって見守ってはいるのであるが、しんのしんのところでは、漠然と、その道から来るものがあるだろうかという疑いを払いのけ切れずにいるところであると思う。
 中堅と云われ、旺に作品活動をしながら今日のこういう要求に身をさらしている作家たちの在りようは、いずれもなかなか野望に満ちているし、文学上の身ぶりも大きく、埃も泥も物かはという風であるが、それが猶且つ、文学に何かを求めている今日の感情に対してはそれぞれの作家そのひとひとの作家的な身ごなしという印象を与える範囲にあるのは、何故であろうか。ああ、ここにこれが、とめぐり合いのよろこばしい感じで心を打って来る刹那の瑞々《みずみず》しさは、作品の世界の一般に欠乏している。
 ここには簡単に云いつくされない、幾つもの条件がたたまって来ていると思う。
 二三年前に、過去の身辺小説の狭さがとりあげられ、そこからの脱出として、よりひろい社会的な題材へ一部作家の関心が向けられて、少しそういう作品が出かかったとき、事変になって、急速に周囲の調子が変った。題材から云えば、そのまま一層ひろく、ひろくと拡がってゆき、拡りかたは如何にも惶《あわただ》しかったが、程なくその奔走の姿も新しい看察を伴ってみられるようになり、現在ではあれこれ表面的な題材に拘泥せず、今日の荒い現実のなかへ作家は身ぐるみとびこんで描けという気風にあると思う。
 長篇・短篇と形の上での区分けが枝葉であるということも、作品の持ち味だとか、境地だとか、そんなものの翫味に散文としてこの小説の精髄はないと云われることも、それとして聞けば十分うなずけると思う。古来、本当に人間の肺腑にふれた文学作品で、ただの持ち味だとか主観的な境地だとかをよりどころとしてかがまっていた作品は一つだって無いことを、誰しも読んで感じて来ているのである。それらの人々は、作家の現実にとび込んで描くと威勢よく云っても、只所謂ありのままを写したところでそれは芸術ではなかろうし、と思い、第一、どこまでありのままが描けるのだろうかということにも今日では作家と同じくらい実際的な眼くばりを持っている。作家が身一つで現実ととり組むというとき、その身一つがぎりぎりのところで結局わが身[#「わが身」に傍点]一つである以上、そのわが身を我れとどう見て扱っているのだろうかということも、身につまされて自然の心がかりとなって来る。これらは総て、求められている或るものを射ようとして弓弦から作家によって放たれている箭《や》であるが、今のところ、一本も的は貫かず、そこに焦燥がかくされている。身辺小説、私小説からの蝉脱の課題がおこった当時は、文学作品の単行本がちっとも売れないという顕著な現象を一方に伴っていた。今日では、単行本の売れゆきは激しくて、インフレーションをおこしている一方に、そもそも文学とはどういうものなのだろうかという一層根本に立ち入った問いを人々の心によびさまして、人生と文学との課題が甦って来ているのである。
 文学が広汎な意
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング