にじかにぶつかれ、と云う声もあるとき、こういうのは愚劣な重複のようにも見えるが、今日あるなりの作家として現実にじかにぶつかれとだけ云われていることと、先ず作家としての自分を、その歴史性の自覚を、現実の中で見直す、ということとは、案外に深い開きを含んでいる二つの別なことだと思う。人生と文学との脈うちは、事象の連鎖にだけあるのではなくて、その事象が人間にもたらすもの、更にそれを、損傷や痛恨をさえ人間の真実の豊富さへの糧として人生へおくりものする、そのつながりの切実さにあると思われる。報告文学が、きびしい時間の篩《ふるい》を忍ばなければならない機微がここにもある。
「チボー家の人々」の第三巻「美しき季節」(上)を読んで、いろいろと今ふれて来たことにもつれて考えられていた或る日、中野重治が来て、その話が出、彼は「あの第三巻をよむと、マルタン・デュ・ガールという作家は果してほんとに偉い作家なんだろうか、どうだろうかと思うね」と云った。「やっぱりそう思った?」そう云って顔を上気させたのであったが、ここに又作家としてのデュ・ガールのなかなか面白いところもあるのではないか。
第一巻、それから第二巻。そこまでデュ・ガールは足並確かにやって来ている。第三巻「美しき季節」では上巻だけの部分についてであるが、作者のこれまでの足どりは少し乱れて、歩調の踏みかえしもあり、何かはっきりしないが危期めいたものとすれすれのところを通っているような気配もする。「美しき季節」の幾箇処かに、ああこういうところにああいう作家や傾向が生れる社会の必然があったのかと、大戦後のフランスの社会的雰囲気が、直接作品の内容からより、その部分を書いている作者の態度から、感じとられるようなところもあった。例えばアントワーヌが、少女デデットのために応急手術をする場面の描写における作者の態度と、後の能動主義と云われた運動との連想。或は、エコル・ノルマルの入学試験成績発表日のジャックの落付きない心持の描きかたは第二巻「少年園」での作者とちがって、当時流行していた精神分析の手法を思い出させるなど。この篇で、デュ・ガールはあっちへひっぱられ、こっちへひっぱられそうになりながらも自分としての歩みをつづけようとして非常にテムポおそく進行し場面へのろのろと接触している。明確な判断の姿勢で、対象がわり切られてはいなくて、しかも作者のその様子がその頃のフランスの困難を思わせるところに、興味と親しさを覚えた。
こうして見ると、作家は時代が苦しいとき、あながち文才を駆使して、現実整理の手腕を振うことを求められているものでもないことが、改めて思われる。然しそのことは、小説らしくない小説を書いて見せるという極く所謂小説家らしい方法、(「贋金つくり」などのような)の肯定となるのではなくて、野暮に、自分が一人の人間としてこの人生に求めているものを手ばなすことなくまもって行くことで、愈々益々現実の深奥を広く描き出してゆくしか小説の道はないと思えるのである。そして、この迂遠にして古い大道を行き貫くためには、日本の作家には男にしろ女にしろ特別にたゆみない智慧と堅忍と骨惜しみなさが求められているとも思う。日本にしかない種々の条件は日々の現実の中で常に必しも芸術をのばすものとしてばかりはないからである。[#地付き]〔一九三九年八月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
1939(昭和14)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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