「日本の実作家のペンと紙との間に入りこんで、そこでの結びつきなる創作行為そのものを変える」何かの歯車の発見について、不断の関心を示している作家の一人である。「イデエ・近代の論理、人間の組み合わせかたとしての秩序の認識のないところでは、皮膚感覚と暴力のみが実在する。その二つのものの合成である現在の日本文学は、日本そのものの、反映なのだ」、カミュの「ペスト」、オオウェルの「一九八四年」、ゲオルギゥの「二十五時」などが、日本の中堅作家と同年代の外国作家の手になるものであることを見れば「明らかに盲目と無力という言葉が日本の作家に冠せられても仕方がない」(「歯車の空転」)伊藤整のこの感想は共感される。彼に「いまの文学のゆがみ」は明らかに意識されている。「芸術の本来の性質からいまの文学のゆがみを照し出そうとする企て」をもつ作家の一人である。いまの文学のゆがみそのものを、その一文の中でアクロバット風に表現しているにすぎないことを痛ましいと思う。一人の作家伊藤整がいたましいというような高飛車な感想ではなく、日本よ! こういうもの云いのある一九五〇年の日本よ。小説を書くかかないにかかわりなくそこに生きて
前へ 次へ
全21ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング