んにち、わたしは、本当に豊富な、リアルな文学を求めて現実に生き、そして創作しようとすれば、いやでも社会的な存在としての自分に、そして人との関係にぶつからずにはいられないと思っている。したがって、本来で生きれば、ひろい意味で社会的意識の鋭くされることは必然である。それを表現したいと思えば、生きつつある現実に絡みあって創作の方法も変化してゆかないわけには行くまいと信じているのである。
オオソドックスというならば、人間は理性のあるもので、発展的な人間性をもっているという事実。そして、そのような人間は不可抗的に社会生活関係のうちに生まれ、生きる、という事実。その事実に附随しておこって来る歴史的諸事実が、そもそもオオソドックスなものなのだと考えると思う。
文学における社会性、あるいは政治と文学の関係についてわたしたちは、まだ初歩的な経験しかしていない。その結果、今のところきわめて素朴にしか語ることができない次第だけれども、それでも、この五年間には、すべての文学者が、それぞれに、何かを体得して来た。社会主義リアリズムとよばれる創作方法が、プロレタリア文学運動者たちの珍重するソヴェトわたりの手品
前へ
次へ
全21ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング