あう責任があるかという事実も学んだ――民主主義文学について枠内で語るのではなく、民主主義文学者としての責任において、日本の文学の諸問題についてふれてゆくことが――。
政治と文学の課題を選ぶことは、わたしにとって或は冒険であるかもしれない。しかしわたしのみならず、多くの人々が、この年々に、一番多くの血を費したのは、この問題とのとりくみであった。この問題は、きょうの文学者にとっては直接であるにしろ間接であるにしろいかに生きるか、にかかわりをもって来ている。菅季通の自殺は、太宰治の死、田中英光の死にまさって、こんにちのすべての良心に、人間としていかに生きるかの表現としての政治と文学の関係、そのなりゆきを注視させている。
こんにちプロレタリア文学史をよむひとは、一つの不便にめぐりあっている。それは一九三三年にはいると、プロレタリア作家同盟に属しながらも出版されて今日にのこっている発言、著書などは、ある一部の人々のものに限られていて、それらの人々とは別個の見解をもっていたプロレタリア作家たちの討論は、文献の表から消えていることである。
このことが一九四六年からのち、一時プロレタリア文学に対する過小評価の論を流行させる原因の一つとなり、その文献的欠陥となっている。当時、日本の前衛組織は非合法におかれ、小さい規模であった。一つの運動に、他の一つの運動の必要が重なって来てしまうほど、人的にもその組織は苦しく働かざるを得なかった。
プロレタリア作家同盟及び当時の文化活動には、多分にそのような事情にある前衛的性格がおりこまれていたために、大衆的な文学団体である同盟の主要なメンバーは、その作家が当時のプロレタリア文学運動に忠実であろうと思えば思うほど、他の人々のように商業ジャーナリズムを場面としての、個々的な発言を抑えられた。組織の内のことは、組織の内で解決するべきものだ、ということが、組織の運営についての論議と、文学問題一般についての発言とのけじめなく、プロレタリア作家たる立場として、求められたのだった。
現在、この状態は、一変している。政党が存在している。労働組合もある。多くの文化団体が、それぞれの専門分野において存在している。民主的な文学者として文学の諸問題を語ることはわたしの属す文学団体そのものの内部を語ることでさえもあり得ない。
この了解に立って、わたしは語り得なけ
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