、そこに立体的に統一された何かの新しい文学者としての存在が確立されつつあるか、その確立のよりどころはどの点におかれているかというような角度から問題はきりこまれて来るのである。
民主的な作家が、この五年の間、活溌な報告者として自身の活動を展開できなかった一つの理由は、わたしたちが多くの点で、政治と文学との関係に処するに未熟だったからである。わたしたちの政治的な能力が低くて、あいまいであったために、民主主義革命そのものの規定についての、立ちおくれた認識にひきずられた。この弱点は、出発の最初に、民主的文学が包括するプロレタリア文学の伝統の評価をぐらつかせたし、その後には、民主的文学運動のうちに占める労働者階級の文学の位置づけを不分明にした。このことは、やがて、リアクションとして、一部に極端な文化文学上の経済主義をおこすことになり、政治と文学との関係は、一九二〇年代の初期、プロレタリア文学運動の発芽時代に一部の実践家(平沢計七そのほか)によって云われたような、機械論にまで逆行して行った。
これらの過程に、民主的な文学者が、心に苦汁をかみしめながら、日本文学の問題として、文学全野にこの問題を語りかけなかったのは何故だったろう。わたしは、自分について調べてみたい。それは、やっぱり民主的文学者としてのわたしの政治的生きかたの未熟さから来ている。自分の属している政治の組織と、文学の大衆的な組織は、おのずから別個な二つのものである。文学者たる自分が、文学の領域においてはっきり語ってよい限度と、政治団体の内部の条件からうける刺戟によって、湧き立つ精神の処理の方法を学ぶまでに、わたしとして長い訓練が必要だった。
わたしは、共産主義者である前に進歩的な要素をもつ人間であり、女であるのだから、そして、文学者であるのだから、そのおおね[#「おおね」に傍点]をゆすぶって迫る政治の面での問題を、技術としてきりはなし政治の面での規約にしたがった理論的な方法で処理する躾が身につくまでに、複雑な五年間が必要だった。
一九五〇年にはいってきょうまでの十ヵ月に、わたしとしては、フェア・プレイとそれ自身の成長発展のために、前衛組織の規約は、どのように尊重されなければならないかという厳粛な事実を学んだ。これは革命の信義の課題でもある。その半面、文学の分野ではどのように語るべきことをまっすぐに語り、検討し
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