近代文学の殆んど総てはこの近代の神聖な結婚と純潔な家庭生活等をひっくり返した側から取り上げているのは何故だろうか。
 結婚と家庭について、そして女性について、近代には二つの考え方が出来た。その一つは、所謂「神聖な結婚」「純潔な家庭」というものを承認しようとしながら、資本主義の現実社会が齎す醜悪さと偽善とに反撥して、ロマンティックに両性問題を考えようとした傾向である。私たちは聞いていないだろうか。人類は初め男女共分れていない一対の者であったが、それが或る時男と女とに分れてこの世に生れなければならない廻り合せになった。それだから男も女も互いに本当の自分の半身を見つけ出そうとして、完全な愛を求めて果もなく彷徨《さまよ》う悲しい宿命がそこから生じているのだと。
 こういうロマンティシズムに対して、近代精神の特長である現実に対する追求力リアリスティックな探求心は驚くべき熱中と執拗さをもって、恋愛と結婚と家庭の「神聖」の仮面をはいだ。モーパッサンのほとんど唯一の傑作である「女の一生」を読んだ人は、その昔騎士道が栄え優雅な感情を誇ったと云われているフランスでも、「女の一生」はあんまり日本の無数の女の
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