総力と云われているものの一部として自分たちを考えたとき、そういう云いかたのなかへむこうから引くるめて表現されるばかりでなく、真に生活的な力として自分をも成長させてゆく社会的な力として、女である自分たちが如何なる可能をもっているかということを真面目に考えてみることも無駄ではないと思う。具体的な何かの技術、何かの専門、また家庭の処理の方法にしてもそこに何かの工夫をもち計画をもっているということの確信、それがほしいことだと思う。
 歴史の激しくうつりかわる時期には、標語めいたものはどんどんうつり変り、表面からそれを追えばそこには矛盾も撞着も生じる。時代の風波はいかようであろうとも、私たちが女として人間として、よく生きぬかなければならない自身への責任はどこへ托しようもない自身の責任なのである。歴史の幅は非常にひろいものである。私たちはそのことをよく知らなければならない。立役者だけで演じられる芝居というものはない。そのことも私たちはよく知っていなければならないことであると思う。
[#地付き]〔一九四一年一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月
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