にこのイナオを捧げるのであります。
 さすがに寒い所だけあって、神様の中でも炉の神様を最も大切にいたしますが、この神様はお婆さんでフッチと名づけています。そしてフッチの表象《シンボル》にしたものが、実に面白いのでございます。それは柳の木を一尺五寸位に切って、上の方に切口をつけて神様の口にかたどり、炉の焼けくずを結えつけてフッチの心臓《ハート》としてあります。こんな風に口や心臓《ハート》を持っている神様は炉の神ばかりで、他の神様をまつるには、只イナオを立てるばかりのようでございます。
 一体にアイヌは信心深く、山に行って猟をする時も畑を作る時も、地面を掘る時も、先ずイナオを立てて私共に飲水をお与え下さいとか穀物のよく実るようにとか云って、熱心に祈祷をいたします。けれども、イナオを取扱ったり祈祷をするのは、総べて男子の仕事で、婦人は決して神事に携る事は出来ませんから、祈祷の言葉や神様の事をよく知っているのは男ばかりで、婦人はこれについて何も知る事は出来ません。で、家を持つと良人はまず男の子の生れるのを喜びます。若し男の子がないと、イナオを立てて神様をまつるものが絶えるのを恐れるからでありましょう。男子でなくては、神様をまつれないという所は、内地人の昔の有様と似ています。
 斯様に男の子の生れるのを喜ぶ風がありますが、また婦人から云えば、却って女の子を欲しがるのであります。それは男子は神様に仕えるのが第一で、主になって働くのは婦人ですから、親は働きの助けに女の子を欲しがるのであります。
 やがて子供が相当の年頃になると、男の子は神様の祭りや祈祷の言葉を教えられたり、女の子は機織り、刺繍などを教えられます。何《いず》れも古風な仕つけ方であります。また今日では内地人のような教育を受けている者もあって一様には申されません。アイヌ婦人の刺繍は、男子の彫刻と共に趣の深いものだと思います。其の刺繍は極く初心の中は、下絵を描いてするようでありますが、だんだん上手になると、模様も下絵なしに自分の頭脳で作りながら縫って行きます、こんな風ですから、その模様が一つ一つ変っていて面白うございます。アイヌの模様を研究してみたら、よほど興味のあるものと思います。彫刻や刺繍に表れている模様は、常に接している大自然の影響で、山や水、雲などからとったものが多いようです。
 刺繍をした黒|天鵞絨《ビロード》
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