レタリア文学の活動を開始した有能な人々が、どのくらい、文学の特殊的な技術の問題について、その微細な点にまで具体的探究をすすめようと努力しているかということがよくわかる。過去の日本の若いプロレタリア文学運動が顕著な弱点として持っていた題材、主題や様式などの単一性に対して、熱心に現実の多様な錯雑をさながら丸彫りとして芸術化そうとする方向に一致して努力されていることも認められる。これらの特長はこの座談会を流れて一貫し、プロレタリア文学の新しい展開への可能を暗示している。
この座談会の席上で、島木氏や徳永氏によってプロレタリア文学作品の一つの発展的タイプとして「プロレタリア的な単純な明朗性を持った作品」「単純な、明快な言葉で判りよく、しかも芸術的な」(島木氏)作品が翹望されている。そのような作品に対する評価の点では諸氏の意見が大体一致しつつ、その点を一層具体的にするような討論が伸びず、ひるがえって、一方で、現在それらの人々の関心をひいている問題の具体的な内容の一例としてドストイェフスキー再認が語られていたり、リアリズムは進化するという本圧氏の意見にはいって行ってしまっている。又平田氏のように
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