新入生
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)質《たず》ね
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四〇年四月〕
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この頃は朝早く出かけることが多くて、電車へのるところまで歩く間に、どっさり学生にすれちがう。新しい靴、洋服、ランドセルに大きめの帽子をかぶった小学一年生。新入学の女学生や中学生たち。七つ八つの子供から二十を越したぐらいの男や女の子が、様々の表情と風采とをもつ勤人たちの波に混って、楡の芽立ちかけた横通りを来るのである。それらの人通りは、あんまりひろくない通りいっぱいに溢れて来るから、こちらからその人の流をさかのぼるようにゆく私は、歩きにくいばかりでなく一寸独特な気分である。足にギプスをはめた小学三年ぐらいの少年が一人いてよく出会うのだが、朝のこんな人波その中のギプス姿は、私をいろいろの回想に誘うこともある。今はまるで壮健で子供の親になっている弟も五つ六つの頃はギプスをはめて歩いていたりしたのであったから。
昨今ひとめで新入生とわかる子供たちを見ると、まあまあ、御苦労様だった、とその子の親をもこめて思う気持になるのは、私ひとりの感情ではないであろう。丁度三月の末、あちこちの入学試験のはじまる時分のことであった。公衆電話をかけに行ったら、先に人が入っている。中年の女の声で、余り甲高にとりみだしておろおろ物を云っているので、何ごとかとつい注意をひかれたら、その電話は子供の先生へ母親が何か紛失物の申しわけをしているのであった。くりかえし哀願するように、どうぞもうこの一週間だけ御容赦下さいませ。
お恥しゅうございますが何しろ私もつい顛倒しておりますものですから……ハ? はい、はい。本年はどうもあの方が特別おやかましいということだもんでございますから、本当にもう……。と上気した眼色が察しられる声の様子である。では、どうぞあしからず、御免下さいませ、とハンケチを握って汗ばんだ面ざしでボックスから出て来たひとを見て、私は何とも云えない気がした。電話さえやっとかけている母親のようにとりつめた物言いをしていたその女のひとの姿を見れば、袴をはき、上被りをつけている。近所にある女学校の女先生なのであった。
先生という職業にかかわらず、子供の入学試験でおろおろしている一人の母親の心をむき出
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