前にあるのとは異ったプランで、この本の準備をされたらしい。現在の主篇を第一篇西洋として、第二篇に東洋の歴史をとりあげ、第三篇には婦人の解放史をとりあげられるつもりであったらしい。ところが、この本では枚数とそのほかの理由で、社会思想前史[#「前史」に傍点]ともいうべき内容にとどめられた。東洋、婦人の部分は著者によってふれられ得なかったのである。
 この種の本の読者として、私は謂わば最も初歩者の一人である。それ故、引用されている多くの古典についても批評を加える力は持っていないが、著者が忠実にその出典を明らかにしている態度には、親切さを感じた。
 古代奴隷社会を説きつつ、この著者が、昨今日本の反動的な一部の文芸家によって極めて悪質に利用されている「経済学批判の序論」の末尾でマルクスがギリシャ芸術の「順当な[#「順当な」に傍点]」達成にふれて云っている言葉を、決してマルクス自身「絶対的に美化していないこと」その段階を人類史の大局からはマルクス自身が「未成熟」とし「二度と再び帰らぬ」ことを強調していることを論じている点など、単な[#ママ]思想史には見出されないプラスである。ウィットフォーゲルの「
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