ったと思う。何故なら、これまでの世界文学はいつも「政治と文学」の問題を、対立する二つの要素のように考えて、その課題の解決に議論を重ねて来ていたのであるから。ソヴェトの歴史と経験はこの問題を、その肉体で解決しているように見える。
 自身の社会の建設と発展の為に生きること、その道の上に生じる闘いと、憩いと、憤り、悲しみ、喜び、一切の事象と情熱とは、とりも直さず生きてゆく必然の政治そのものからの照りかえしであり、人民の胸に燃える表現の欲望は、それらを自ずから物語ることで先ず文学の一歩を踏みだしている。自分達で創り、育て、守り、高めつつある社会に生きているという日常現実の中に、政治と文学とは融合ってしまっている。唯そこには、より文学的に、より芸術的に表現する才能の違いが存在しているばかりである。
 これは、一九一七年以後のソヴェト社会が、この世界に齎《もたら》した一つの新しい人間性の豊富さである。一九一七年以来ソヴェトがたえず押し進めてきた人間の立体的な社会生活の方向が、このたびの防衛戦という大刺戟によって、破壊から巨大な建設へと、全人民の経験を転化させる可能を与えた。
 一九三〇年頃のヴェラ
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