極的諷刺から、諷刺する主体、プロレタリアートの逆襲的勝利、社会的価値の再認識ということまでを含めて扱うところまで進歩して来た。
 日本でも、まだ数こそ少ないが、この方面で面白いプロレタリア漫画、諷刺文学は出はじめているのである。

          三

 では、プロレタリアートの自己批判の武器としての諷刺は、どんな工合に発達しているだろうか。
 ソヴェト同盟のように、もうプロレタリア革命後十何年という建設期の特別な社会情勢では、諷刺がなかなか現実的な力でこの方面の文化活動につかわれている。
 今ソヴェト同盟で出ている、あらゆる漫画諷刺雑誌の主題は、資本主義国支配階級への攻撃、国内のブルジョア残存物への挑戦、次にプロレタリア生産、文化の自己批判が、扱われている。
 然し実際にやって見ると、階級的自己批判としての諷刺文学は、あるいは画よりも困難をもっている。
 批判、諷刺の対象を日常の些細なことから一つ一つ部分的にとりあげた場合、それは割合やさしく、笑われるものと、笑うものとの関係をこめてはっきり把握される。例えば、ソヴェト同盟の五ヵ年計画のはじめにされた職場の酔っぱらい排撃、官僚主義
前へ 次へ
全12ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング