うだね、君んところのは?
目立たぬ位肩をもちあげ、
――まあこんなもんだろう。
――バタはいいが、いかにも腹にこたえないね、尤もそれでいいんだが……
焼クロパートカ半身一皿一ルーブル五十カペイキ也。
あっちこっちのテーブルで知らない者同士が他の土地の天候などきき合っていた。
夜、日本茶を入れてのむのに、車掌のところへ行ってさゆいりのコップを借りたら年上の、党員ではない方の車掌がもしあまったら日本茶を呉れと行った。
――あなた日本茶、知っているの? 青いんですよ、日本の茶、砂糖なしで飲むの。
――知ってますとも! よく知ってる、中央アジア=タシケントにいた時分始終のんでいました。
あっちじゃいつも青い茶を飲むんです、暑気払いに大変いいんです。
小さいカンの底に少し入っているまんま持って行ったら、手のひらへあけて前歯の間でかんだ。
――これはありがたい! いい茶ですね、本物の青茶だ。
十一月四日。
ウラジヴォストクへいよいよ明日着きはつくが、何時だか正確なことが分らない。午前二時頃かもしれない。然し五時頃かもしれないんだそうだ。昨夜、Y、気をもんで、若し午前二時に着くのならホテルへ部屋がいる。ウラジヴォストクの某氏へ電報打とうと云って、頼信紙に書きまでしたが、大抵五時だろうと云う車掌の言葉に電報は中止した。
――明日どうせせわしいんだから、ちゃんと今日荷物しとかなけりゃいけない。
連絡船は十二時に出る。一週間に一度である。
或るステーションを通過し構内へさしかかると、大きな木の陸橋が列車の上に架けられているのを見た。それは未完成でまだ誰にも踏まれない新しい木の肌に白い雪がつもっている。美しい。五ヵ年計画はソヴェトの運輸網を、一九二八年の八万キロメートルから十万五千キロメートルに拡大しようとしている。一九三〇年の鉄道貨物は二億八千百万トンになった。(一九三三年には三億三千万トンの予定。)その事実はシベリアを通ってここまで来る間、少し主だった駅に、どの位の貨車が引きこまれ積荷の用意をし、又は白墨でいろんな符牒を書かれ出発を待って引こみ線にいたかを思い出すだけで証明される。この陸橋だってそうだ。もと、この駅にはこんなに貨物列車の長い列がいくつも止ったりすることはなかったのである。通行人は、のんきにロシアのルバシカと長靴で構内線路を横切って歩いていたのだろう。
ところが、貨車はどんどんやって来、もうその下をもぐって往来しかねるようになったので、この新しい木橋がつくられた。――
新らしい陸橋はここで見たのがはじめてではなかった。どっか手前でもう二つばかり見た。
十一月五日。
あたりはまだ暗い。洗面所の電燈の下で顔を洗ってたら戸をガタガタやって、
――もう二十分でウラジヴォストクです!
車掌がふれて歩いた。
Y、寝すごすといけないというので、昨夜はほとんど着たまま横になった。上の寝台から下りて来ながら、
――いやに寒いな!
いかにも寒そうな声で云った。
――まだ早いからよ、寝もたりないしね。
いくらか亢奮もしているのだ。車室には電燈がつけてある。外をのぞいたら、日の出まえの暗さだ、星が見えた。遠くで街の灯がかがやいている。
永い間徐行し、シグナルの赤や緑の色が見える構内で一度とまり、そろそろ列車はウラジヴォストクのプラットフォームへ入った。空の荷物運搬車が凍ったコンクリートの上にある。二人か三人の駅員が、眠げにカンテラをふって歩いて来た。
――誰も出てない?
――出てない。
荷物を出す番になって赤帽がまるで少ない。みんな順ぐりだ。人気ないプラットフォームの上に立って車掌がおろした荷物の番をしている。足の先に覚えがなくなった。
――寒いですね。
猟銃を肩にかけて皮帽子をかぶった男が、やっぱり荷物の山の前に立って、足ぶみしながら云った。
――ここは風がきついから寒いんです。
やっと赤帽をつかまえ、少しずつ運んで貨物置場みたいなところへ行った。
――どこへ行くんですか?
――日本の汽船へのるんだけれども、波止場は? あなた運んでは呉れないのか?
麻の大前垂をかけ、ニッケルの番号札を胸に下げて爺の赤帽は、ぼんやりした口調で、
――波止場へは別だよ。
と答えた。
――遠い? ここから。
――相当……
馬車を見つけなければならないのだそうだ。
――ここに待ってて! いい?
Y、赤帽つれてどっかへ去った。十分もして赤帽だけが戻って来た。最後の荷物を運ぶのについてったら、駅の正面に驢馬みたいな満州馬にひかせた支那人の荷馬車が止ってて、我々の荷物はその上につまれている。
支那人の馬車ひきは珍しく、三年前通ったハルビンの景色を思い出させた。三年の間に支那も変った。支那は今百余の県に労働兵卒ソヴェトをもっている。
――うまく見つけたろ? 波止場まで七ルーブリだって。
もう明るい。電車はごくたまにしか通らず、人通りの少い、支那人とロシア人が半々に歩いている街を、馬車について行く。右手に、海が見えた。汽船も見える。――
波止場まで遠い。Y、小走りで先へゆく荷車に追いついたと思うと両手に下げてた鞄と書類入鞄を後から繩をかけた荷物の間へ順々に放りあげ、ひょいと一本後に出てる太い棒へ横のりになった。尻尾の長い満州馬はいろんな形の荷物と皮外套を着たYとをのっけて、石ころ道を行く。自分は歩道を相変らずてくる。てくる。――
だらだら坂を海岸の方へ下る。倉庫が並んでいる。レールが敷いてある。馬糞がごろた石の間にある。岸壁へ出て、半分倉庫みたいな半分事務所のような商船組合の前で荷馬車がとまった。目の前に、古びた貨物船が繋留されている。それが我等を日本へつれてゆく天草丸だった。
そこからは、入りくんだ海の面と、そのむこうに細かく建物のつまった出鼻の山の景色が見える。今太陽は海、出鼻の上を暖かく照らし、岸壁でトロを押している支那人夫の背中をもてらしている。
ウラジヴォストクでは、町の人気も荒そうに思われていた。来て見るとそれは違う。時間の関係か、街はおだやかだ。港もしずかだ。海の上を日が照らしている。
自分は、一口に云えない感情で輝く海のおもてを見た。
СССРの、ほんとの端っぽが、ここだ。
モスクワからウラジヴォストクまで九千二百三十五キロメートル。ソヴェトは五ヵ年計画でここに新たな大製麻工場を建てようとしている。同時に、日本海をこえて来る資本主義、帝国主義を、この海岸から清掃しようとしている。かつてウラジヴォストクからコルチャック軍と一緒にプロレタリアートのソヴェト・ロシア揉潰しを試みて成功しなかった日本帝国主義軍、自覚のない、動員された日本プロレタリアートの息子たちが出入りした。次に、利権やとゲイシャと料理屋のオカミがウラジヴォストクをひきあげた。一九三〇年の今日、朝鮮銀行の金棒入りの窓の中には、ソヴェト当局によって封印された金庫がある。[#地付き]〔一九三一年一、二月〕
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「女人芸術」
1931(昭和6)年1月、2月号
※「――」で始まる会話部分は、底本では、折り返し以降も1字下げになっています。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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