て来て、郵便車から雪の上へ投げた小包を拾い上げた。その小包には切手が沢山はってあった。
十月二十九日。
昨夜スウェルドロフスキー時間の午前一時頃ノヴォシビリスクへ。モスクワでウラジヴォストクまでの切符を買う時ノヴォシビリスクで途中下車をするようにしようかとまで思ったところだ。新シベリアの生産と文化の中軸だ。真夜中で〇・一五度では何とも仕方ない。車室の窓のブラインドをあげ、毛布にくるまってのぞいていたら次第に近づく市の電燈がチラチラ綺麗に見えた。
一寝いりして目がさめかけたらまだ列車は止っている。隣の車室へ誰か町から訪ねて来て、
――今ここじゃ朝の四時だよ、冗談じゃない!
男の声がした。時計また二時前進。今度の旅行には時間表が買えなかった。大きい経済地図があるのを鞄から出して見る。モスクワは地図の上で赤ボッチ。自分達はシベリアの野と密林の間を一日一日と遠くへ走っている。
ある駅へ止る。ステーションの建物の入口の上に赤いプラカートが張ってある。
五ヵ年計画第三年目完成ノタメニ諸君用意シロ!
その前に男女一かたまりの農民が並んで立って列車とそこから出て来て散歩している旅客を眺めている。今日も新しいエレバートルを見た。まだすっかり出来上らないで頂上に赤旗がひるがえっていた。
十月三十日。
午後一時、ニージュニウージンスクへ止る一寸前、ひどい音がして思わず首をちぢめたら自分の坐っていたすぐよこの窓ガラスの外一枚が破れている。
――小僧《マーリチク》!
――見たの?
――三人いたんだ。一人石をひろうところ見たんだが……
モスクワを出た時車掌が入って来て、急いで窓のシェードを引きおろし、
――こうしとかなくちゃいけません。
と云った。
――何故?
――石をなげつけるんです。
自分は信じられなかったから、又、ききかえした。
――どうして?
――わるさする奴があるんです。御承知の通り。
停車したとき出て見たら、後部でもう一つの窓がやられている。そこのは石が小さかったと見えて空気銃の玉でもとび込んだように小さい穴がポツリとあいてヒビが入ってるだけである。こっちのは滅茶滅茶である。
子供はつかまったそうだ。親がえらい罰金をくうのだろう。
どっか松林の下に列車が止ってしまった。兎が見えたらしい。廊下で、
男の声 ここいらの住民は兎は食わないんです。
女の声 でも沢山とるんでしょう? カンヅメ工場でも建てりゃいいのに。
思わず答えた。それっきりしずかだ。雪の上によわい日がさしてる。今日は何度もステーションでもないところで止って後もどりしたりする。
窓ガラスが壊れて寒いので、窓の方の側へずらして帽子をかぶり、外套片袖ひっかけて浮浪児みたいな風体で坐ってる。
二人で代り番こに本の目録を作るためタイプライターをうった。
十月三十一日。
雪の上にまつのきがある。黒く強い印象的な眺めだ。どっか東洋風だ。モンゴリア人が馬に車をひかせ長い裾をハタハタひるがえして足早に雪の中をこいで行く。
イルクーツク。一時間進む。
列車車掌の室は各車台の隅にある。サモワールがある。ロシアのひどく炭酸ガスを出す木炭の入った小箱がある。柵があって中に台つきコップ、匙などしまってある。車掌は旅客に茶を出す。小型変電機もある。壁に車内備付品目録がはってあるのを見つけた。
――モスクワへ帰るとみんな調べうけるんですか?
――そうです。みんな検査する。そのガラスがこわれたから我々二人で十一ルーブリ払わなけりゃならないんです。あなたの方のは犯人がつかまって書類が廻ったからいいが……
これで分った。一昨日食堂車へわたるデッキの扉のガラスが破れた時、何心なく、
――誰がわったの?
ときいた。すると、やっぱりこの若い、党員である車掌は珍しく不機嫌に、答えた。
――知らないです。
車掌は七十五ルーブリの月給を貰っている。СССРで勤労者は多くの権利をもち、例えば解雇するにも、工場で作業縮小の場合一ヵ月の内三日理由なく休んだ場合、二ヵ月以上収監された場合の外、大体労働者の承諾を必要とする。その代り責任はがっちり肩の上にかかっている。
十一月一日晴。
チタを寝ている間に通過した。一時間時計が進んだ。
〇時五分すぎ。
小さい木橋の上で列車が止った。
窓へ顔をくっつけて左手を見ると、そっちに停車場らしいものが見える。が、そこまでは遠く列車の止ってるのは雪に埋もれた丘の附近である。
――何てステーション?
ノヴォミールが廊下できいている。
――木のステーション!
人形を手にぶら下げて、わきに立っている姉娘が返事した。
むこうの方で、別の男の子が父親に同じ質問をしている。
――誰にも分らないステーションだよ。
靴にいっぱい雪をつけ、鼻のあたまを真赤にして手袋をぬぎながら車掌が入って来た。
――フーッ!
――何か起ったの?
――むこうの軟床車の下で車軸が折れたんです。もうすこしでひっくりかえるところだった。
ブリッジへ出て両手でわきの棒へつかまり、のり出して後部を見わたしたら、深い雪の中へ焚火がはじまっている。長靴はいて緑色制帽をかぶった列車技師が、しきりに一台の車の下をのぞいて指図している。棒材がなげ出してある。真黒い鉄の何かを運んで来て雪の中にころがしてある。山羊皮外套を雪の上へぬぎすて農民みたいな男が、車の下に這いこんだ。防寒靴の足の先だけが此処から見える。
日はキラキラさしている。雪は凍ってる。寒い。赤い房のついた三角帽をかぶった蒙古少年が雪をこいで、低い柵のむこうの家の見える方へ歩いて行く。犬があとからくっついて行く。
廊下へひっこんで来たら、むこうのはずれの車室から細君が首だけ出し、
――何が起ったんです?
良人は、ひろい背中を細君の方へ向け、脚をひらいて廊下に立ちパイプをふかしながら、
――エピソードさ。
そういう返事をしている。
蒙古人の村はどこでも犬が多いな。――……
列車は修繕のために二時間以上雪の中にとまっていた。
ほとんど終日、アムール河の上流シグハ川に沿うて走る。雪、深し。灌木地帯で、常磐木は見えない。山がある。民家はシベリアとは違い薄い板屋根だ。どの家も、まわりに牧柵《チャシ》をゆって、牛、馬、豚、山羊などを飼っている。家も低い、牧柵《チャシ》もひくい。そして雪がある。
川岸を埋めた雪に、兎か何か獣の小さい足跡がズーとついている。川水は凍りかけである。
風景は、モスクワを出た当座の豊饒な黒土地方、中部シベリアの密林でおおわれた壮厳な森林帯の景色とまるで違い、寂しい極東の辺土の美しさだ。うちつづく山のかなたは、モンゴリア共和国である。
十一月二日。晴れたり曇ったり。
列車の窓とすれすれにごろた石の山腹がある。ひる頃外を見ても、やっぱりそれと瓜二つなごろた石の山腹が窓をかすめて行く。
――退屈な景色!
――ベザイスが、実はあんたのところの同じような山には、もうあきあきしてるんですと云ったわけだ。
芸術座小舞台で「我等の青春」という国内戦時代のコムソモール(青年共産同盟員)たちの感情、若さから誤謬は犯しながら雄々しく実践でそれを清算する働きぶりなどを歴史的に見た劇を上演している。ハバロフスクへ潜行運動にベザイスが、絵を描いた貨車にのっかって行く。その中途から頼まれてのせてやった娘とそう話すのである。
我々の列車もモスクワを出て九日目。ハバロフスクの手前を走っている。
ある小さい駅を通過した時、女がにない棒の両端へ木の桶をつって、水汲みに来たのを見た。駅の横手の広っぱに井戸がある。井戸側は四角い。ふたがちゃんとついている。大きな輪があって、そこについている小さいとってで輪をまわし、繩をゆるめて水を汲みあげる仕掛になっている。シベリアの方でも田舎の井戸はこんな形だった。
日本でも女が水汲みをする。ロシアでも女がやっている。そして、この担い棒をかついだ女村民の部落には村ソヴェトの赤い旗が雪の下からひるがえっている。
景色が退屈だから、家に坐ってるような心持でいちんち集団農場『|集団農場・暁《コルホーズ・ザリヤー》』を読んだ。
一九二八―二九年、ソヴェト生産拡張五ヵ年計画が着手されてから、社会主義社会建設に向って躍進しはじめたのは、直接生産に従事している労働者ばかりではない。画家も、作家も、キネマの製作者も総動員を受けた。彼等芸術労働者は、新しいソヴェト生産拡張の現実、それにつれていちじるしい変化を生じた労働者農民の日常の生活状態、社会的感情などを芸術の内にいきいきと再現し、さらに芸術を通して民衆の階級的自覚を社会主義社会の完成に向って一歩押し進めようとする重大な階級的役割をもった。
若いキネマ製作者たちはカメラをもって、農村へ、炭坑へ、森林の奥へ進出した。(そして、日本のキネマ愛好者はトーキョーで、傑作「トルクシブ」を観た。)
作家、記者は、彼等の手帖が濡れると紫インクで書いたような字になる化学鉛筆とをもって、やっぱり集団農場を中心として新生活のはじめられつつある農村へ、漁場へ、辺土地方(中央|亜細亜《アジア》やシベリア極地)へ出かけた。作家の団体は有志者を募集し、メイエルホリドの若手俳優や劇場労働青年《トラム》の遠征隊と一緒に、特別仕立の列車で文化宣伝にモスクワを立った。
いろいろ面白い農村新生活の記録の報告が現れた。国立出版所は、五カペイキや二十カペイキの廉価版を作って、それ等を売り出した。
『|集団農場・暁《コルホーズ・ザリヤー》』十五カペイキ。|集団農場・暁《コルホーズ・ザリヤー》が、つい附近の富農の多い村と対抗しつつどんな困難のうちに組織されたか、どんな人間が、どんなやり方で――うすのろの羊飼ワーシカさえどんな熱情で耕作用トラクターを動かそうとしたか、そこには集団農場を支持するかせぬかから夫婦わかれもある農村の「十月」を、飾らない、主観を混ぜない筆致で短かいいくつかの話に書いてある。
新しい力が、古い根づよいものによって決められ、しかしついにはいつか新しい力が農村の旧習を修正してゆく現実の有様を描いてある。こういう本は字引がいらない。
十一月三日。
時計がまた一時間進んだ。すっかり極東時間――日本と同じ時間になった。モスクワでは、時々夜おそくなるまで何かしていてふと思い出し、
――今日本何時頃だろ。
――今――二時だね、じゃ九時だ朝の。もう学校がはじまってる――
そんなことを話し合った。
だがこのウラジヴォストク直通列車は、二十何時間かもうおくれたのである。本当は今夜ウラジヴォストクについている筈だったのに、恐らく明日の夜までかかるだろう。十日も汽車にのると、半日や一日おくれるぐらい何とも思わない。みんなが呑気になる。そして、段々旅行の終りになったことをたのしんでいる。
――これでウラジヴォストクまでにもう何時間おくれるだろうね。
――五時間は少くともおくれるね。
――まあいいや、どうせウラジヴォストクより先へこの汽車は行きっこないんだ。
廊下で誰か男が二人しゃべっている。
東へ来たらしい景色である。樹にとまっている雪がふっくり柔かくふくらんでいる。
夜食堂車にいたら、四人並びのテーブルの隣りへ坐った男が、パリパリ高い音を立てて焼クロパートカ(野鳥の一種)をたべながら、ちょいと指をなめて、
――シベリアにはもう雪がありましたか?
と自分にきいた。ほんとに! 沿海州を走っているのだ。
食堂車内は今夜賑やかだった。ずっとモスクワから乗りつづけて来たものは長い旅行が明日は終ろうとする前夜の軽い亢奮で。新しく今日乗り込んで来た連中は、列車ではじめての夕飯をたべながら。――(汽車の食堂は普通の食堂《ストロー※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ヤ》より御馳走だ。)シベリアに雪はあるかと訊いた男が通路のむこう側のテーブルでやっぱりクロパートカをたべている伴れの眼鏡に話しかけた。
――ど
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