風の躾とちがった事情がおこって来ています。しとやかに、男の人のうしろについて、つつましく乗物にのるのが、昔の若い女性の躾でした。
 毎朝、毎夕、あの恐しい省線にワーッと押しこまれ、ワーッと押し出されて、お勤めに通う若い女性たちは、昔の躾を守っていたら、電車一つにものれません。生活の現実が、昔の形式的な躾の型を、押し流してしまいました。
 けれども、私たちの心には、やはり美しく、立派な生きかたをしたいと思う念願は、つよくあります。そうだとすれば、新しい躾の根本は、第一に、毎日の荒っぽい生活に、さらわれてしまわないだけの根深い根拠をもつものでなければならないということが分ります。そのように、しっかりした躾は、どこから、生れて来るものでしょうか。

 親が子供を躾けるとき、先ず願うことは、体が丈夫であることの次に、正直な、公明正大な人間になって欲しいということであると思います。
 子供たちが、正直な、公明正大な人間となってゆくために、果して現在の社会の有様は、ふさわしいものでしょうか。

 子供たちが、いつもおなかをすかしていなければならないという、事情一つを考えてみても、子供のためによい社
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