、工学博士、子爵大河内正敏氏その他を主として、長野や群馬、新潟などの寒村に、「共同作業場ともいえないくらいの小さな作業場」をつくり都会の大工場で同じ機械を使って造り出す能率の二倍以上の成績を、農村の子女によってあげている。智能と資本とを縦横に駆使して、イギリスの良品高価に対する良品廉価生産・高賃銀低コストを目ざす科学主義工業という呼び名が、これらの人々によって、資本主義工業の弱点を補強したものとして提唱されつつあるのである。
 大河内氏の著書は、鶏小舎を改造せる作業場の中で、ズボンをつけ、作業帽をかぶりナット製作をしている村の娘たち、あるいは村の散髪屋を改造せる作業場で、シボレー自動車用ピストンリングの加工をしている縞のはんてんに腰巻姿の少女から中年の女の姿、その他の写真で飾られている。ここでは「いままで機械など見たこともない農村の子女が数日にして立派な熟練工となる」それのみか、五六ヵ月も働くと、銑鉄を削る百分の二粍の相異の目測さえするようになる。大河内氏は、日本の女子の天才の一つとしてそれを感歎し、それは改良されている機械の機構と、「その使いかたが単調無味であるように製作されてあるほど精密に加工されるから」「飽きることを知らない農村の女子が農業精神で」その精密加工に成功し「農村の子女が最も適当しているというのである」としているのである。
 フォードが一品一工場としたやりかたで生産工程の組織では全国的にフォード化し分業化しつつ、しかも、村を決してその工業を専門とする工村にはせず、飽くまで副業にとどめて、古来のままの農業精神を主とし、農村全体としての文化の水準などはあるがままの上に農魂商才で行こうとするところに特色をもっている。大河内氏は日本の農業精神を土に親しみ、郷土を愛し、奉公の念に満ちているものと内容づけておられるのである。
 つい先頃までは、鶏小舎であったところが一寸手を入れられて、副業的作業場となり、村から苦情の出るような賃銀をとって、重工業に参加する村の娘の若い姿は、いかにも工業動員の光景である。村の娘たちは、新しい自分の力にも目ざめてゆくであろう。不況な農村のありあまった労力が現金にかえられるところに、親のよろこびもあるであろう。
 けれども、作業場といえば、おのずから採光や換気のことも考えられる。日本が世界第一の結核国であり、若い女の死亡率が最高である
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