いかえしてみると、わたしの少女時代の遠い記憶のなかには、一つの棚があって、そこにゴタゴタにつみこまれていた無数の雑誌や本が浮んで来る。文芸倶楽部、新小説、ムラサキ、古い女鑑《じょかん》という雑誌。浪六の小説本。紅葉全集の端本《はほん》。馬琴の「白縫物語」、森鴎外の「埋木」と「舞姫」「即興詩人」などの合本になった、水泡集《みなわしゅう》と云ったと思うエビ茶色のローズの厚い本。『太陽』の増刊号。これらの雑誌や本は、はじめさし絵から、子供であったわたしの生活に入って来ている。くりかえし、くりかえしさし絵を見て、これ何の絵? というようなことを母にきいているうちに、年月がたつままに、その中のどれかを偶然によみはじめて、少女雑誌から急速に文学作品へ移って行った。
わたしたちの文学にふれはじめる機会が、多くの場合は偶然だ、ということについて、深く考えさせられる。わたしの母が本ずきであったために、父の書斎になっていた妙な長四畳の部屋の一方に、そんな乱雑な、唐紙もついていない一間の本棚があった。わたしの偶然は、そういう家庭の条件と結びついたのだったが、ほかのどっさりの人々の偶然は、どこでどんな条件と
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