容詞で、かいていることといえば、肉体主義の文学の生理的註解のようなものです。これまでに科学的な性の知識がちっとも与えられていないのに、今日は十六歳の少女でも読む雑誌に、いきなり局部的な性の技巧とか性の満足とかいうことが書かれていて、両性の生活にある人間的な複雑な要素は、全くけとばされています。愛のよろこびや美しい結合に憧れをめざまされるよりも先に、性交への好奇心が石盤刷りのようなあくどさで刺戟されてゆくのは、惨憺たることです。性には人格もあり個性もある。特に女性は人間的な要素が多い。その要素を無視して、性器だけの交渉に中心をおくならば、すべての性的な行為は売娼の本質と等しくなってしまいます。なぜなら、そこに、人間的な選択、完全な結合、愛、同感、互の運命への責任等がぬかれているのだから。
人間を動物的に低める性的誇張は、ファシズムの一つの方法です。ナチスが青年男女を「わが陣営」にひきつけるためにとった方法は、いわゆる性の解放でした。正しい民主的な社会を求める人々は、こういう性のこみちから人間を人間でなくするような人間破壊に対して闘わなければなりません。肉体主義の文学が、「肉体をはる」生
前へ
次へ
全33ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング