言ゆっくりと、ソヴェトの社会主義なんかは「インチキ」といわれました。どんな客観的理由も説明せず、三十年間の社会主義社会建設の歴史をもって今日に来ている人民の社会を、「インチキ」と断言したことに対して、デマゴギストという印象を与えられなかった人はないでしょう。どんな権力の意識がこの人の背後にあれば、あのような客観性のない暴言を吐き得たのでしょう。
 田辺元氏の「無」の哲学は、戦争中は「無」の独特な融通性によって侵略戦争に相応したし、一九四五年の冬から天皇制論のやかましかった頃には天皇制護持のための「無」と変化しました。サルトルが流行したら「無」は実存主義によって語りだされました。何とジャーナリスティックな、かんのいい「無」でしょう。田辺哲学の読者は、この資本主義社会に発生した東洋的な「無」の哲学が、われにもあらず権力と商業主義に流され、このように「無」の流転する姿を、哲学の破綻そのものの姿としてみているでしょうか。
 日本の歴史学は、まだ大塚史学の伝統をとりのぞいて正しく科学としての日本の歴史学に発展するところまでいっていません。『国のあゆみ』『民主主義』読本に対する監視と批判は、決して新学期に際してだけの季節的行事であってはならないと思います。今日二・二六の事件を戦争を欲しなかった青年将校[#「戦争を欲しなかった青年将校」に傍点]の行動であるとか、農民大衆の窮乏にふるいたった青年将校たちの行動であるとかいう二・二六記録が発表されている事実と鋭くにらみ合わされる必要があります。
 人民的な文化建設をいうとき、これまではいつも、文化現象の社会的基盤の分析がまず行われてきました。田辺哲学の批判もそこまではきている。太宰治の文学についてそこまではいわれている。「しかし」というところが一般の感情のうちに残っていて、太宰もよまれ田辺も崇拝者をもっている。この「しかし」こそ微妙です。赤岩栄氏の存在はいかにも時代的であり過渡的で、この「しかし」の心理に深い連関をもっています。民主的文化確立の道は、この社会的基盤の分析という段階から既に文学そのものの創造によって、人民の哲学そのものの確立によって、新しい知性と美の流露によって、知的に心情的に、「しかし」の谷間まであふれてゆかなければならない段階にきていると信じます。既成文化の否定から、新しい文化の具体的な誕生による肯定の面へまででてゆ
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