義その他、極東軍事裁判の法廷が、それをこそ共同謀議の思想として、有罪を宣告したファシズムの思想である。あるいは、侵略主義の主体としての民族主義思想であろう。
 国際裁判によって有罪とされたそういう思想は言論の自由だからとりしまれないときくと、わたしたちのおどろきは深く大きい。警察でとりしまりたいとおもってとりしまれなかったどんなストライキがあったろう。文化的な仕事しかしていない東宝という映画製作所の闘争で、数千の武装警官と機銃をのせた甲虫が登場した光景は、フィルムにもおさめられた。言論の自由が民主的発言にたいしても、百パーセントの実効をあたえているだろうか。減刑運動という名のもとに、日本のまちがった民族主義の思想がふたたびうごめき出し、戦争挑発が拡大するような事態を許すならば、わたしたち人民の譲歩は、度をこしている。満州侵略に着手した田中義一の内閣に外交官であった吉田茂が、この減刑運動を、国内の民主勢力にたいする一つの均衡物として利用しようとするなら、それは一つの国際的な民主主義にたいする罪悪であるとおもう。

          三

 こういう問題ともにらみあわして、ふたたびアメリ
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