的だの意外だのと書きながら、一方でその新聞は、トルーマンは彼の困難な選挙活動のはじまりから、非民主的だった第八十議会の実状を率直に訴えれば、アメリカ市民は彼に協力するにちがいないという十分の確信にたっていた、といっているのだから。それほど、前から、たとえ主観的なものであるにもしろ政治家としてのトルーマンの確信がはっきりわかっていたのなら、日本の公器であるはずの日本の新聞が、どうして公平に記事を選ばず、デューイ当選を、まるで既定の至上事実のようにわたしたちに宣伝しなければならなかったのだろう。
こういう悲惨で滑稽な現象のチャンピオンとして、某婦人雑誌が、トルーマン当選の公表された翌日の新聞に、「デューイ夫妻会見記」という特別記事入りの十二月号の広告を出した。ここにも奇蹟的という文字がつかってあった。この雑誌の特派記者が、アメリカの人でもなかなか会えないデューイ夫妻に会見してとった記事ということであった。
某誌数万の婦人読者は、編集者のこんな先ばしりのみっともなさについても、どんなこころもちも動かされないというのだろうか。戦争中、一頁ごとに米鬼を殺せと刷りこんだ血なまぐさい雑誌だったこ
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